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三代目三遊亭金馬没後五十年2014年11月09日 10:36

 三代目三遊亭金馬が亡くなったのは、昭和39(1964)年11月8日、昨日はちょうど五十年目にあたります。昨日は夕方から某落語家さんの会へ赴く予定があったので、その前に三代目金馬の墓参りに行こうと思い立ちました。
 例によってネットで調べると、墓所は銀座線田原町駅にほど近い台東区寿2丁目にある永見寺という寺だとのこと。初めての墓参りで問題になることは、寺がどこであるかはすぐに分かるとして、その墓地のどこに目的の故人の墓があるかという事です。グーグルアースでみると、永見寺の墓地は狭く家一軒分ほどの広さなので、現地へ出向いて適当に探せば見つかるだろうと、楽観的な心持で当日家を出ました。
 田原町の駅から、仏壇屋の多い浅草通りを稲荷町駅方面に歩きます。3分ほど歩いて、菊屋橋の交差点で左折してすぐの所に永見寺はありました。曹洞宗の寺です。(下の画像をクリックすると大きな画像で見られます)

三代目金馬墓所永見寺


 境内に入って墓地の方へ向かうとはて困った。墓地の入り口には「檀徒以外の立ち入りを禁じます」と掲げてある。しかしさすがに赤の他人とはいえ慕う故人の墓に参りに来た者を門前払いにするような事はなく、境内右手にある庫裡でお花か線香を求めれば、墓前で参拝させていただけるとのこと。
 庫裡で名前と住所を記し、線香一対で200円をお納めし、寺の方に案内されて、三代目金馬の眠る「加藤家歴代の墓」へ。都会の寺ということで墓は小さ目。「墓なんてぇものは小さくても良い」と万事やかましかった先代金馬なら言いだしそうです。墓石の左側には「昭和三十年十一月再建 施主 三代目三遊亭金馬事加藤専太郎」と刻まれています。先代金馬が千葉県の佐倉駅近くの鉄橋で列車に轢かれ重傷を負ったのが昭和29(1954)年2月のこと。一歩間違えれば死に至っていた先代金馬が、自身の「死」というものを意識して、直後にこの墓を建立したのかもしれません。なお、寺の方から「写真撮影はご遠慮ください」と告げられていますので、墓の写真をアップすることはできません。某落語家さんのブログに、この墓の写真が載っているのですが大丈夫なのか?
 昭和39年は東京の落語界の大物の訃報が相次いだ年で、3月には二代目三遊亭百生、8月には八代目三笑亭可楽と二代目三遊亭円歌、そして東京オリンピックが閉幕をした直後の11月8日に三代目三遊亭金馬が亡くなりました。思えばこの昭和39年というのは落語界にとってひとつの節目だったのかも知れません。昭和20年代後半に民放ラジオ局が次々と開局しNHKを含めこぞって落語をはじめとした演芸番組をかける。そして昭和30年台、空前の落語ブームとなり落語は映画などとならんで庶民の娯楽の王様となる。その後日本という国は経済大国へと突っ走って、昭和39年には東京オリンピックが開催されると、人々は急速に目新しいものへと関心を移すようになり、落語などの古いものへの興味を失ってゆく。昭和30年代の最後の年に三代目金馬をはじめとした大物の落語家が亡くなったのは、そんな日本という国の変化の象徴的な出来事だったのでは、そんなふうに思います。

 墓の写真がアップできなかった代わりに、先代金馬の葬儀案内のハガキの写真を貼っておきます。十年くらい前、ネットオークションで出品された際の画像を取り込んだものです(私は落札していない)。著作権の問題とかあるかも知れませんが、先代金馬のように喧しい事は言わないでおいて下さい。

三代目金馬葬儀案内


コメント

_ 納札小僧 ― 2014年11月10日 23:19

いつも、ご苦心の掃苔録をアップしていただき、興味深く拝見しております。

三代目三遊亭金馬師の墓所は元浅草の隣にあったのですね。
偶然ですが、お寺から50mくらいのとこに、アタシの知り合いの事務所があったり、
150m位にも普段お世話になっている浮世絵の摺師さんがいたりで、身近に感じますね~

っで、金馬師ですが、アタシがまだ幼少の砌には、家にテレビと称する伴天連の魔法箱が置かれてない時分でして、家族団欒の夕飯時に、茶の間の茶箪笥の上に置かれたラジオから流れてくる演芸番組で演じられている三代目三遊亭金馬師の「孝行糖」。いまだに頭の隅に記憶しております。面白かったですね。

金馬師の評価は未だに毀誉褒貶相半ばしておりますが、評論家の矢野誠一氏が精選落語会を発足させるときに、桂文楽にレギュラー会員のリストを見せた際に、いみじくも文楽が「この会に金馬さんが入っていないにはどういう訳ですか?」と矢野氏に尋ねたことでも、同業者間での金馬師の評価の大きさが分かりますね。

アンツルだかコンカメとかいう通がった御仁が、自分の好き嫌いの範疇で評価を下したお蔭で、永く正当な評価を得られていなかった金馬師ですが、「夢金」「高田の馬場」「雛鍔」なんか、アタシの拙い耳で聞いても、実にイイですね。

ところで、アノ有名な生前死亡通知のハガキがヤフオクに出品されていたのですか!
ヤフオク恐るべし!

_ はろー ― 2014年11月11日 20:41

 納札小僧さんは、古きよき江戸・東京の文化と縁の深い方でいらっしゃるようですね。
 現在六十歳代くらいの方で子どもの頃、ラジオの先代金馬の噺で落語の面白さを知ったという方は多いでしょう。語り口が明瞭で分かりやすい金馬の噺は、老若男女誰にでも受け入れられ、まさに大衆芸能の鑑でした。
 その「誰にでも受け入れられる」芸能を、一部の評論家は「深みがない」と忌避していたわけですが、そんなヘンクツな人間からの批評の対象となる程に落語の裾野は広かったのでしょう。
 先代金馬が亡くなった昭和40年代以後も、圓生や志ん朝などの名人は高座で活躍しますし、もちろん私も大好きなのですが、いかんせん「芸術」っぽくなってしまい、落語という芸能が大衆性を失っていってしまったのかなぁとの思いもあります。

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