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圓生師終焉の地へゆく(その1)2012年11月22日 01:12

 昨日は千葉県船橋市に赴き、午後2時頃には用事が済みましたので、その足で東隣の習志野市へ行き、三遊亭圓生師の終焉の地を訪ねることにしました。
モリシア(旧サンペデック)の全景
 東京駅から総武快速線で津田沼駅までは30分程。JR駅の北口から新京成線新津田沼駅までの300メートル程の通りが駅付近でもっとも繁華な地帯で、パルコやイトーヨーカドーなどの大型店が立地します。繁華な北口に比して南口は開発が遅れ、十数年前までは西側に広大な畑地が広がるという有様でした。wikipediaによるとこの南口が整備され大型複合施設「サンペデック」が開業したのは1978年10月。3階までがスーパーなどの商業施設で、その直上の西側と東側に11階建ての棟がそれぞれ建ち、その中央に「習志野文化ホール」があります。
 東側の棟の11階にあった結婚式場(宴会場とも)「菊の間」で行われた後援会の発足記念の式で圓生師は小噺「桜鯛」を演じた後に心臓発作で倒れ、その後近くの病院で亡くなりました。書籍やネットで最後の口演は「習志野文化ホール」でなされたとの記述があちこちでありますが、これは別の施設であり誤りです。ちなみに亡くなった翌月の10月6日にはこの「習志野文化ホール」で圓生師の独演会が予定されていたとの事。なお「サンペデック」は現在は「モリシア」と名が変更され、東側の棟は「レストラン棟」と称されています。
圓生終焉の地の石碑
 さて、そのレストラン棟の4階部分脇の小公園スペースに植込みがあり、ここに「六代目三遊亭圓生終焉の地」の石碑が建ちます。刻まれた句は「根なし草語る浮世を圓く生き」。最晩年にはお騒がせの人となってしまったのに「圓く生き」とは少々皮肉めいていますが。この石碑の向かい側が「文化ホール」の入り口なので最後の口演の地と混同される原因となっているようです。
モリシアレストラン棟
 レストラン棟に入りエレベーターで11階まで昇ります。現在は高級中華料理店として有名な「銀座アスター」になっています。会食の場であり一人で食す所ではないし、なにより一食するだけでウン千円もする店ですので早々に退散しました。機会があれば名人圓生を理解できる人を連れてゆっくり食事したいと思います。
 この後は、心臓発作で倒れた圓生師が搬送され息を引き取った病院を訪ねたのですが、長くなりましたので明日以降記すことにします。

コメント

_ 大橋洋一郎 ― 2023年10月01日 12:51

圓生さんの色紙があるのですが 捨てられなくて困っています
どうしたらよいでしょうか

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