古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 |
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立川談志、政務次官辞任 ― 2015年01月21日 19:09
先年、立川談志が亡くなった際、テレビのニュースやワイドショーでは大きくその死を取り上げ、エピソード満載の生涯をいろいろと振り返る映像が流れました。談志の人生の中でも最大の事件といえば、1971(昭和46)年の選挙で参議院議員に当選したこと、そして1975(昭和50)年12月には沖縄開発庁政務次官に就任したものの、「放言」問題を起こし、在任期間わずか36日で辞任した件でしょう。その「放言」がなされたのが、1976(昭和51)年1月20日。それから39年目になります。例によって私の「調べてみたい」という虫がうずき、国会図書館で当時の新聞をあたってみました。
「沖縄海洋博」を覚えておられる方も多いでしょう。沖縄の本土復帰後、最大のイベントで、1976年1月18日で約半年間の開催期間を終え閉幕します。公務で沖縄を訪れた立川談志こと松岡克由沖縄開発庁政務次官は、20日昼の記者クラブで海洋博閉幕にあたっての会見に臨みます。しかし二日酔いで目は真っ赤、濃いサングラスをかけラッパズボンという派手な姿。酒の臭いをプンプンさせながら記者との受け答えをします。当然、記者は厳しい質問を投げかけますが、談志はとりとめのない自論を展開。しまいには追及した記者に「出てけ!」という始末。
22日の参議院決算委員会でこの問題が取り上げられましたが、当の本人はこの委員会に出席せず、浅草演芸ホールとイイノホールに出演してしまいます。これがさらに問題を大きくし、長官である植木氏は「本人には厳重に注意した」と平謝り。談志の言によると、植木長官から「君が出席するとますます問題がこじれるから来なくていい」と言われたから出席しなかったとの事で、今度は談志が怒ってしまいした。
この時の読売新聞・社会面が下記の画像です(クリックすると大きな画像で見られます)。見ると右上には「大久保清・死刑執行」の記事が。大久保清と立川談志の写真が同じ紙面に載る様はなんとも妙な取り合わせであります。また「公務と酒とどちらが大切なんですか」という記者の問いに対して「酒に決まってるだろ」と答えたとされますが、このやり取りはどの新聞の記事中にも見当たりませんでした。
当時は与野党伯仲で、参議院での与党自民党と野党との数の差はわずか数議席。談志はここに目をつけ、政務次官の職を辞任するとともに、自民党を離党すると言い出します。これに慌てたのが自民党で、懸命に慰留に努めますが結局談志は次官辞任、そして自民党を離党します。下画像は、談志が辞意を表明した26日の沖縄タイムス夕刊(クリックすると大きな画像で見られます)。
「政務と芸能(寄席)が両立しなかった」と述べ、さらに「自民党は私を教え育てるという場ではなく、今回の問題でも誰一人アドバイスもなかった」と自民党への不信感を露わにします。談志自身の公務の席での言動が問題なのに、「政務と芸能」と問題を大きな部分へそらし、さらに自民党という組織の問題にすり替えてしまうところが、なんとも談志らしい所です。
この一件は「しょせん沖縄開発庁なんてのは三流以下の省庁だ」「だから次官に何の素養も無いタレント議員をあてるのだ」と世間の人々を呆れさせました。ついでの話で、この次官の後任として山東昭子議員の名が自民党党内であがりましたが、さすがに続けてタレント議員はまずいだろうとこの話は立ち消えになったとか。
「お騒がせ人間」というのがいつの世にもいるものです。「とんでもない奴だ」と言いながら、結構世間もそういう人間の行状を楽しんでいる節があり、それが古今の落語の題材になったりします。であるならば談志は「落語の話者」のみならず、その存在が「落語自身」だったとも言えるのでしょう。
「沖縄海洋博」を覚えておられる方も多いでしょう。沖縄の本土復帰後、最大のイベントで、1976年1月18日で約半年間の開催期間を終え閉幕します。公務で沖縄を訪れた立川談志こと松岡克由沖縄開発庁政務次官は、20日昼の記者クラブで海洋博閉幕にあたっての会見に臨みます。しかし二日酔いで目は真っ赤、濃いサングラスをかけラッパズボンという派手な姿。酒の臭いをプンプンさせながら記者との受け答えをします。当然、記者は厳しい質問を投げかけますが、談志はとりとめのない自論を展開。しまいには追及した記者に「出てけ!」という始末。
22日の参議院決算委員会でこの問題が取り上げられましたが、当の本人はこの委員会に出席せず、浅草演芸ホールとイイノホールに出演してしまいます。これがさらに問題を大きくし、長官である植木氏は「本人には厳重に注意した」と平謝り。談志の言によると、植木長官から「君が出席するとますます問題がこじれるから来なくていい」と言われたから出席しなかったとの事で、今度は談志が怒ってしまいした。
この時の読売新聞・社会面が下記の画像です(クリックすると大きな画像で見られます)。見ると右上には「大久保清・死刑執行」の記事が。大久保清と立川談志の写真が同じ紙面に載る様はなんとも妙な取り合わせであります。また「公務と酒とどちらが大切なんですか」という記者の問いに対して「酒に決まってるだろ」と答えたとされますが、このやり取りはどの新聞の記事中にも見当たりませんでした。
当時は与野党伯仲で、参議院での与党自民党と野党との数の差はわずか数議席。談志はここに目をつけ、政務次官の職を辞任するとともに、自民党を離党すると言い出します。これに慌てたのが自民党で、懸命に慰留に努めますが結局談志は次官辞任、そして自民党を離党します。下画像は、談志が辞意を表明した26日の沖縄タイムス夕刊(クリックすると大きな画像で見られます)。
「政務と芸能(寄席)が両立しなかった」と述べ、さらに「自民党は私を教え育てるという場ではなく、今回の問題でも誰一人アドバイスもなかった」と自民党への不信感を露わにします。談志自身の公務の席での言動が問題なのに、「政務と芸能」と問題を大きな部分へそらし、さらに自民党という組織の問題にすり替えてしまうところが、なんとも談志らしい所です。
この一件は「しょせん沖縄開発庁なんてのは三流以下の省庁だ」「だから次官に何の素養も無いタレント議員をあてるのだ」と世間の人々を呆れさせました。ついでの話で、この次官の後任として山東昭子議員の名が自民党党内であがりましたが、さすがに続けてタレント議員はまずいだろうとこの話は立ち消えになったとか。
「お騒がせ人間」というのがいつの世にもいるものです。「とんでもない奴だ」と言いながら、結構世間もそういう人間の行状を楽しんでいる節があり、それが古今の落語の題材になったりします。であるならば談志は「落語の話者」のみならず、その存在が「落語自身」だったとも言えるのでしょう。
コメント
_ snob ― 2015年01月22日 16:56
談志といえば、一人で住んでいた郊外の家のリフォームの様子が放送されました。庭の桜の根元に散骨してあるそうですね。おそらく音源もたくさんあるだろうと想像しましたが、画面には古書などの資料しか映りませんでした。昭和の資料なんかどうなっちゃうんでしょうね。
_ はろー ― 2015年01月23日 03:53
遅ればせながら、私もそのリフォームの番組を見ました。談志は収集癖があり、落語などの演芸についても膨大な音声資料を持っていたとか。願わくば、デジタル化して世に出してもらいたいものですが、著作権の問題も絡み、難しいでしょうね。
_ ガーゴイル ― 2020年09月25日 19:53
離島担当大臣が本当の名称である。
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