古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 |
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圓生師終焉の地へゆく(その2) ― 2012年11月23日 02:49
昨日の続きです。
私は総武線沿線に住む人間なので、津田沼の駅は電車で千回とか二千回とか通過しているはずです。なのですが圓生師は最も敬慕する噺家でありながら石碑の建つこの「終焉の地」を訪れるのは今回が2回目です。
圓生師最後の口演の場である元結婚式場、現中華料理店をチラッと覗いた後は南東に1キロメートルほどの所にある「習志野第一病院」へ15分程かけて徒歩で向かいます。
先日も記した通り圓生師は津田沼駅前のサンペデックという商業施設内の結婚式場での後援会発足式で小噺「桜鯛」を演じた直後心臓発作で苦しみだし、その場に居合わせた習志野医師会長の応急手当てを受けます。救急車で圓生師が収容されたのが「三橋整形外科耳鼻科医院」で、現在は「習志野第一病院」と名称が変更されています。
病院へ搬送されたものの次第に意識が遠のき午後9時35分に息を引き取りました。圓丈師の著書「御乱心」にこの時の模様は詳しく書かれていますが、最後の1時間はもう反応が無い状態で、医師による心臓マッサージを止め蘇生を諦めたのが、9時35分とのことのようです。最後の言葉は手当した医師に言った「だいぶ楽になりました」または「横向きに寝かせてほしい」だったとの事。臨終の場には、はな夫人、圓楽師らの弟子が立ち会いました。
さて、その臨終の場となった現在の「習志野第一病院」ですが、総合病院となっていくつかの病棟が立ち並びます。そのひとつひとつに「習志野第一病院」という文字が掲げられ、まるで増改築を繰り返した田舎の温泉ホテルのような複雑さとなっています。緑色の屋根の3階建て部分がおそらく昔からの病棟なのではないのでしょうか。圓生師はこの病院のどこら辺で亡くなったのでしょうか。知る術は有りませんし、そこまで知る必要もないでしょう。
圓生師終焉の地を訪ねて特に感慨というものはありません。私は元々無信心な人間ですし。ただ、昭和を代表する名人である圓生の足跡と記録を留めておきたいという気持ちからちょっと足を延ばした次第です。
私は総武線沿線に住む人間なので、津田沼の駅は電車で千回とか二千回とか通過しているはずです。なのですが圓生師は最も敬慕する噺家でありながら石碑の建つこの「終焉の地」を訪れるのは今回が2回目です。
圓生師最後の口演の場である元結婚式場、現中華料理店をチラッと覗いた後は南東に1キロメートルほどの所にある「習志野第一病院」へ15分程かけて徒歩で向かいます。
先日も記した通り圓生師は津田沼駅前のサンペデックという商業施設内の結婚式場での後援会発足式で小噺「桜鯛」を演じた直後心臓発作で苦しみだし、その場に居合わせた習志野医師会長の応急手当てを受けます。救急車で圓生師が収容されたのが「三橋整形外科耳鼻科医院」で、現在は「習志野第一病院」と名称が変更されています。
病院へ搬送されたものの次第に意識が遠のき午後9時35分に息を引き取りました。圓丈師の著書「御乱心」にこの時の模様は詳しく書かれていますが、最後の1時間はもう反応が無い状態で、医師による心臓マッサージを止め蘇生を諦めたのが、9時35分とのことのようです。最後の言葉は手当した医師に言った「だいぶ楽になりました」または「横向きに寝かせてほしい」だったとの事。臨終の場には、はな夫人、圓楽師らの弟子が立ち会いました。
さて、その臨終の場となった現在の「習志野第一病院」ですが、総合病院となっていくつかの病棟が立ち並びます。そのひとつひとつに「習志野第一病院」という文字が掲げられ、まるで増改築を繰り返した田舎の温泉ホテルのような複雑さとなっています。緑色の屋根の3階建て部分がおそらく昔からの病棟なのではないのでしょうか。圓生師はこの病院のどこら辺で亡くなったのでしょうか。知る術は有りませんし、そこまで知る必要もないでしょう。
圓生師終焉の地を訪ねて特に感慨というものはありません。私は元々無信心な人間ですし。ただ、昭和を代表する名人である圓生の足跡と記録を留めておきたいという気持ちからちょっと足を延ばした次第です。
コメント
_ snob ― 2012年11月23日 19:32
_ mirach ― 2012年11月23日 21:58
圓生師の終焉について、今回調べてみていろいろ分かりました。
四代目小さんと三代目柳好が上野鈴本の楽屋で急逝していますが、地方の旅先で口演の直後に亡くなったというのは圓生師以外に知りません。芸人としての誉れはもちろん、いくつかの偶然がなければ石碑は建たないでしょうね。
四代目小さんと三代目柳好が上野鈴本の楽屋で急逝していますが、地方の旅先で口演の直後に亡くなったというのは圓生師以外に知りません。芸人としての誉れはもちろん、いくつかの偶然がなければ石碑は建たないでしょうね。
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落語家で、終焉の地の石碑を持つ人は…他にいるのでしょうか?