古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 |
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9月に落語研究会・桂枝雀DVD全集発売されます ― 2013年07月17日 22:30
落語研究会のDVD全集は、今年冬に発売されると予想される小三治・下でとりあえずは打ち止めかと思っていたら、アマゾンからメールが来て、9月25日に枝雀師の全集が発売されると知らされました。落語研究会では枝雀師は22回口演してますが、そのうち19回がテレビ放映されています。このなかで「饅頭こわい」と「寝床」の口演が2回ずつあるのでこれを除いた17席が発売されると思われます。すでに枝雀師は、「枝雀落語大全」という40枚組のDVD全集を出していてこのなかに、落語研究会の映像も7席含まれているので、もう新たな発売はなかろうと思っていました。この7席は重複してしまう訳で、コンプリートを目指す人には余計な出費となってしまいます。いつもながらに困ったことですね。
私は桂枝雀師のオーバーなアクションで取る笑いよりは米朝師のような折り目正しい端正な落語を好む質の人間なのですが、落語研究会の映像なら是非欲しい、やはり購入することになりましょう。発売はEMIですが1980年代「東芝」の時代以来、吉本興業系、米朝事務所系の上方落語のCD・DVD発売はEMIがほぼ独占しています。これには何か歴史的経緯でもあるのでしょうか?
私は桂枝雀師のオーバーなアクションで取る笑いよりは米朝師のような折り目正しい端正な落語を好む質の人間なのですが、落語研究会の映像なら是非欲しい、やはり購入することになりましょう。発売はEMIですが1980年代「東芝」の時代以来、吉本興業系、米朝事務所系の上方落語のCD・DVD発売はEMIがほぼ独占しています。これには何か歴史的経緯でもあるのでしょうか?
圓生、謎のレコード ― 2013年07月07日 19:04
「謎の」というより「珍品」というべきでしょうか。何年か前にネットオークションで入手したものです。「長崎の唄・円生のながさき小ばなし」とあります。7インチサイズのレコードで33回転。片面10分ほどの長さ、A面には「円生の小ばなし」と題したたわいもないバレ噺と『ぶらぶら節』の唄が、B面にはこれまたたわいもない圓生のバレ噺と『春雨』という唄が収録されています。いつ、どういう経緯で作られたものかは分からないのですが、ジャケットに「長崎バス」と記してあります。私の勝手な予測ですが、長崎のこのバス会社が団体客のPR向けに作ったのでは。さらには圓生の声のトーンやジャケットの写真の感じからして、ディスカバー・ジャパンとやらで旅行ブームに浮かれていた1970年頃に制作されたものでないかとも勝手に予測。
当時すでに名人の誉れ高かった圓生が、なぜこのようなレコード音源を残したのか興味深い所ですが、今となってはその謎を解明する手段もないでしょう。それにしても、たわいもない小噺とはいえ、一席は一席です。『落語はろー』のリストに掲載すべきなのでありましょうか?
HP更新しました ― 2013年06月30日 16:25
先月に注文した「五代目小さん大全・下巻」がやっと届き、早速HPを更新しました。定価が39,900円、アマゾンで購入すると29,800円。他のサイトで数千円分ポイントが付く場合もありますが、やっぱりアマゾンで買っちゃいますよね。2~3年前、アマゾンは日本で法人税を払ってない事が問題になっているとニュースになりましたが、今はどうなっているのでしょう。私は愛国などと声高に唱える人間ではありませんが、やはり日本で造られた商品を日本で買うわけですから(しかも「落語」という日本の伝統芸能!)売る側の税金も日本に払ってほしい。まあアマゾンの安さの裏にはいろいろカラクリがあるわけです。安けりゃいいというものでもないのですが、この流通の変化のダイナミズムに日本の小売業者は抗うことはできるのでしょうか。
志乃さんと志ん生 ― 2013年06月12日 03:27
「移ろう」という事と「落語」 ― 2013年06月11日 03:40
とある落語のデータがありまして、落語を視聴する人の世代で、20歳代以下は皆無といって良いのですが、30歳代から徐々に増え始め、40歳代から50歳代にかけては激増します。
私は、ドンピシャ激増し始める40歳代半ばの世代なのですが、思い返せば私の子供の頃のと言えば「大正テレビ寄席」の最末期で、以後は落語が演じられる番組といえば「笑点」くらいしか無く、ほとんど落語という芸能に接する機会はありませんでしいた。幸いなことに20歳の時に大学で「ビデオで過去の名人の高座を視聴する」という講義を受けてしまったのが縁でドップリ落語に浸かってしまいましたが、ふつうの人はやはり40歳代以後に何らかの機会で落語を見てそれからハマる、という方が多いようです。
ここで面白いのは、昭和30年代の落語黄金期、ラジオではどこの局でも落語を盛んに放送していた時代の世代はもう60歳代とか70歳代とかでしょうが、テレビでもラジオでも表舞台から姿を消したしまった後しか経験していない40歳代とか50歳代の世代でも落語ファンは着実に増えているという事です。
過去に流行った物がその流行った世代の人の間で遺物のように伝えられる、その世代の人が絶えたらそのかつて流行った物も消えていく、というのではなく、ある世代以上になるとファンが突然増え、脈々と受け継がれてゆく。しかも「歌舞伎」や「能狂言」のように敷居が高くなく、あくまでも「大衆芸能」として存在する。世界的にみてもこんな芸能はあるでしょうか?
40~50歳代といえば子供も成長してゆき、子供らが自分と違う流行物に接するのを目の当たりにする年代です。また常識や価値観でさえ自分ら世代とは違うと実感する事があります。幼い頃や若い頃は、今、目の前にある物が全てのような感覚に捕らわれますが、40歳代を越した大人は、それらが変化する物である事を知ります。
もちろん現代、身分制度もなければ徒弟制度もなく花魁も横丁の隠居ももはや存在しません。濃密な地域コミュニティもとっくの昔に崩壊しました。歳を積み重ねるということの中で、自分らの生きてきた世代の事柄が思い出として蓄積されるだけではなくて、自分たちは直接関わりのなかった過去に生きた先人たちの体験してきた事、残してきた物に思いを馳せる。
大げさにいえば「社会というものは移ろう」という事を歳を取るとともに実感していくなかで、自分の世代を突き抜けて、さらに過去の世代の人間の生き様を楽しむという、人間を眺める「幅」が出来るとのことではないのでしょうか。
その社会の「移ろい」のなかで、人間のする事、考える事なんてものは基本的には変わらないものだなと発見して、妙にホッとしたりするのです。
私は、ドンピシャ激増し始める40歳代半ばの世代なのですが、思い返せば私の子供の頃のと言えば「大正テレビ寄席」の最末期で、以後は落語が演じられる番組といえば「笑点」くらいしか無く、ほとんど落語という芸能に接する機会はありませんでしいた。幸いなことに20歳の時に大学で「ビデオで過去の名人の高座を視聴する」という講義を受けてしまったのが縁でドップリ落語に浸かってしまいましたが、ふつうの人はやはり40歳代以後に何らかの機会で落語を見てそれからハマる、という方が多いようです。
ここで面白いのは、昭和30年代の落語黄金期、ラジオではどこの局でも落語を盛んに放送していた時代の世代はもう60歳代とか70歳代とかでしょうが、テレビでもラジオでも表舞台から姿を消したしまった後しか経験していない40歳代とか50歳代の世代でも落語ファンは着実に増えているという事です。
過去に流行った物がその流行った世代の人の間で遺物のように伝えられる、その世代の人が絶えたらそのかつて流行った物も消えていく、というのではなく、ある世代以上になるとファンが突然増え、脈々と受け継がれてゆく。しかも「歌舞伎」や「能狂言」のように敷居が高くなく、あくまでも「大衆芸能」として存在する。世界的にみてもこんな芸能はあるでしょうか?
40~50歳代といえば子供も成長してゆき、子供らが自分と違う流行物に接するのを目の当たりにする年代です。また常識や価値観でさえ自分ら世代とは違うと実感する事があります。幼い頃や若い頃は、今、目の前にある物が全てのような感覚に捕らわれますが、40歳代を越した大人は、それらが変化する物である事を知ります。
もちろん現代、身分制度もなければ徒弟制度もなく花魁も横丁の隠居ももはや存在しません。濃密な地域コミュニティもとっくの昔に崩壊しました。歳を積み重ねるということの中で、自分らの生きてきた世代の事柄が思い出として蓄積されるだけではなくて、自分たちは直接関わりのなかった過去に生きた先人たちの体験してきた事、残してきた物に思いを馳せる。
大げさにいえば「社会というものは移ろう」という事を歳を取るとともに実感していくなかで、自分の世代を突き抜けて、さらに過去の世代の人間の生き様を楽しむという、人間を眺める「幅」が出来るとのことではないのでしょうか。
その社会の「移ろい」のなかで、人間のする事、考える事なんてものは基本的には変わらないものだなと発見して、妙にホッとしたりするのです。
五代目小さんDVD大全・下巻発売 ― 2013年05月16日 20:49
昨日15日に、ソニーミュージックから五代目小さん師のDVD大全・下巻が発売されました。私も早速購入しました…、と言いたいところなのですが諸事情によりまだ入手していません。来月のなるべく早いうちに購入する手立てを講じ、落語はろーに反映させるよう努めます。手元のデータベースを調べると、五代目小さん師は落語研究会に214回出演されていますが、そのうちテレビでオンエアされたのは80回。上巻・下巻でDVD化されたのは46席。データの分布具合をみると、テレビでオンエアされていない・DVD化もされていない映像・音源がまだまだありそうです。演目が重複しても構わないので、ぜひ商品化してもらいたいものです。
これで「落語研究会」映像のDVDは、11月か12月に発売の予想される小三治・下巻でほぼ出そろう事になります。これで商品化も途切れてしまうかもしれませんが、一ファンの勝手な望みとして四代目三遊亭圓遊、六代目笑福亭松鶴の元気な頃の映像が見たいと思いますし、桂米朝師や桂春團治師の40~50歳代の中堅の頃の映像も見たいと思います。落語研究会四十余年で残された映像は、落語ファンに共有されるべき財産だと思いますので。
これで「落語研究会」映像のDVDは、11月か12月に発売の予想される小三治・下巻でほぼ出そろう事になります。これで商品化も途切れてしまうかもしれませんが、一ファンの勝手な望みとして四代目三遊亭圓遊、六代目笑福亭松鶴の元気な頃の映像が見たいと思いますし、桂米朝師や桂春團治師の40~50歳代の中堅の頃の映像も見たいと思います。落語研究会四十余年で残された映像は、落語ファンに共有されるべき財産だと思いますので。
入院(2) ― 2013年05月09日 01:51
私事について(と政治・社会ネタについて)は極力書き込まないというのが「落語はろー」のポリシーなのですが、落語つながりで入院中にこんなことがあったということで。
同じ病室で、私と同じく脳内出血で入院しているSさんという70歳代の男性がいました。、市内にある某大手メーカーに長らく勤め、入院前までその会社の研究室の嘱託として活躍されてたそうです。Sさんは私の父とも言って良い世代の方でしたが、読み終えた新聞を交換し合ったりしているうちに色々話し合う仲になりました。その話のなかで、Sさんの勤める研究室での同僚で親しくしている人でHさんという方がおり、このHさんがこの秋に真打昇進される金原亭小駒さんの父親であるとのことを聞かされました。「知り合いの知り合いが」という程度のことなのなのですが、それにしても私にはどこまでも「落語」がまとわりつく。単なる「偶然」でなく「因縁」と思えてしまうのは、圓朝の怪談噺を聴きすぎているせいでしょうか。
入院についての話題はこれで打ち止めにして、普段の落語はろーに戻りたいと思います。
同じ病室で、私と同じく脳内出血で入院しているSさんという70歳代の男性がいました。、市内にある某大手メーカーに長らく勤め、入院前までその会社の研究室の嘱託として活躍されてたそうです。Sさんは私の父とも言って良い世代の方でしたが、読み終えた新聞を交換し合ったりしているうちに色々話し合う仲になりました。その話のなかで、Sさんの勤める研究室での同僚で親しくしている人でHさんという方がおり、このHさんがこの秋に真打昇進される金原亭小駒さんの父親であるとのことを聞かされました。「知り合いの知り合いが」という程度のことなのなのですが、それにしても私にはどこまでも「落語」がまとわりつく。単なる「偶然」でなく「因縁」と思えてしまうのは、圓朝の怪談噺を聴きすぎているせいでしょうか。
入院についての話題はこれで打ち止めにして、普段の落語はろーに戻りたいと思います。
入院(1) ― 2013年05月03日 11:17
しばらく更新していませんでしたが、1か月ほど入院していました。4月4日、自宅にいたところ突然今までに経験したことの無いような激しいめまいが。すぐ家族に頼んで救急車を呼んでもらい、病院へ。CTスキャンの結果、脳出血(脳内出血)と診断されました。そうです。落語ファンならご存知の通り、昭和36年12月に古今亭志ん生が突然襲われたあれですね。いくら敬愛する落語家だからといって罹る病気まで同じにする事はないのに。志ん生は脳のどこの部位が出血したのかは知りませんが、私は脳の中心部分にある「脳幹」という部分の出血でした。脳幹は呼吸などの生命活動の基本を司る極めて重要な部分です。血の固まりの大きさが2cmを超すと命に関わるとの事でしたが、私の場合は1.5cmくらいだったとの事。1週間ベッドの上で寝起きが出来ない絶対安静の状態が続きました。再度出血すれば命を失うリスクも高かったのですが幸いにもそれもなく、さらに運が良かった事に身体への障害もほとんど無く、絶対安静の状態が解けた直後からピンピン歩ける状態でした。その後リハビリを3週間ほどして、昨日やっと退院できた次第です。「落語はろー」の更新のための作業も再開しますので、これからもヒマがあったら覗いてみて下さい。
サライ1月号の志ん生「芝浜」 ― 2013年03月17日 01:34
最近、大人向けのちょっとシャレた雑誌に落語のCDが付録として付くことが結構ありますが、今更ながらに、小学館から発刊されている「サライ1月号」に、志ん生「芝浜」と圓生「掛け取り」が収録されている事を知りました。年末にふさわしい2題ですね。以前なら本屋をウロウロしているうちに意外な所で意外な情報を載せた本を発見することができたのですが、ネットで注文することが多くなってからこのような「意外な発見」も少なくなったような気がします。
先日、ネットオークションの出品情報を何気なく調べているうちにこのサライの付録CDの存在を知りました。オークションの商品画像にCD袋の裏面の写真があり、志ん生「芝浜」は、落語はろーリストのテイク2で1958.12.25ニッポン放送の音源、圓生「掛け取り(万歳)」はテイク12、1976.12.04東宝名人会の音であることが分かりました。両方とも市販CDが発売されており容易に入手できる音源なのですが、気になる事が1つ、そのサライの付録CDでは志ん生「芝浜」は収録タイムは「25分40秒」と記してあります。落語はろー中に記したタイムは「25分22秒」でこれはポニーキャニオンから発売されているCDのタイムです。「25分40秒」と「25分22秒」。この18秒の違いは何なのか。私はこういう事にどうしてもこだわってしまう性分です。昨年12月発売の雑誌ですから取り寄せることも可能だったのでしょうけれど、オークションでCDのみ格安で出品している品が何件かありましたので、これで入手することにしました。 そして調べてみた結果嬉しい発見が。付録CDの4分33秒~42秒の「今と違って昔はエー、芝の浜に買い出しに行きますな」という件と4分55秒~5分07秒の「どうしたの。どうしたのじゃねえ~(中略)~喧嘩じゃないよ、見てくれ見てくれ、え、どうだ」という件が、市販のポニーキャニオン盤CDではカットされていたのです。見事、この付録CDがカット部分を復元してくれました。サライを買ってこの付録CDを聴いてこんな「事実」に気付いた人は稀でしょうけれど、これは音源選定・マスタリングの草柳さんならではの「思い入れ」かなと、ニヤリとしてしまいました。
しかし、ポニーキャニオンのCDはニッポン放送の原盤から作成しているはずなのに、このような必要もないカットを何故したのか、謎ではあります。
先日、ネットオークションの出品情報を何気なく調べているうちにこのサライの付録CDの存在を知りました。オークションの商品画像にCD袋の裏面の写真があり、志ん生「芝浜」は、落語はろーリストのテイク2で1958.12.25ニッポン放送の音源、圓生「掛け取り(万歳)」はテイク12、1976.12.04東宝名人会の音であることが分かりました。両方とも市販CDが発売されており容易に入手できる音源なのですが、気になる事が1つ、そのサライの付録CDでは志ん生「芝浜」は収録タイムは「25分40秒」と記してあります。落語はろー中に記したタイムは「25分22秒」でこれはポニーキャニオンから発売されているCDのタイムです。「25分40秒」と「25分22秒」。この18秒の違いは何なのか。私はこういう事にどうしてもこだわってしまう性分です。昨年12月発売の雑誌ですから取り寄せることも可能だったのでしょうけれど、オークションでCDのみ格安で出品している品が何件かありましたので、これで入手することにしました。 そして調べてみた結果嬉しい発見が。付録CDの4分33秒~42秒の「今と違って昔はエー、芝の浜に買い出しに行きますな」という件と4分55秒~5分07秒の「どうしたの。どうしたのじゃねえ~(中略)~喧嘩じゃないよ、見てくれ見てくれ、え、どうだ」という件が、市販のポニーキャニオン盤CDではカットされていたのです。見事、この付録CDがカット部分を復元してくれました。サライを買ってこの付録CDを聴いてこんな「事実」に気付いた人は稀でしょうけれど、これは音源選定・マスタリングの草柳さんならではの「思い入れ」かなと、ニヤリとしてしまいました。
しかし、ポニーキャニオンのCDはニッポン放送の原盤から作成しているはずなのに、このような必要もないカットを何故したのか、謎ではあります。
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