古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 |
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八代目林家正蔵(彦六)居宅跡へゆく ― 2017年01月06日 06:31
八代目正蔵といえば「稲荷町の師匠」と呼ばれたよう、地下鉄銀座線・稲荷町駅近くに長屋住まいしていたことは落語ファンの間ではあまりに有名です。そのすぐそばに留さんこと九代目桂文治が住む長屋があり、両師家族同様の仲だったこともまた有名な話。
具体的に場所を特定するためにいつものごとく国会図書館の地図室へ赴き、過去の住宅地図を漁って探してみました。(下はクリックすると大きな画像で見られます)。
稲荷町駅のすぐそばだということで、場所はあっさり分かりました。なぜか「林屋」と誤記されています。
先代正蔵の住まいは清州橋通り側の4軒長屋の一番左手の住戸、九代目文治はその右隣の2軒長屋の右側に住んでいました。最近までwikipediaで「彦六と九代目文治は、同じ長屋の隣同士だった」との記述がありましたがこれは誤りです(現在は訂正されている)。また、2人の住む長屋の向かいにある「上野下アパート」とはいわゆる同潤会アパート。都内とその近辺に16ヵ所あった同潤会アパートの内、最後まで残った建築物ですが2013年に取り壊されました。
さて、12月のある日、先代正蔵師の旧宅跡へと赴いてみました。 地下鉄稲荷町駅を出て30秒とかかりません。浅草通りの1本北側の通り、下の写真で右側が同潤会アパートがかつてあった場所で現在は15階建てほどのマンションになっています。左側のコイン・パーキングがある場所が、かつて先代正蔵師が住まわっていた4軒長屋の跡になります。
現在はクルマ4台しか留められないこの駐車場。ここに4戸のお宅があった訳ですから今の感覚では信じられません。2階建てだったこの長屋。先代正蔵師のお宅の2階は芝居噺で使う大道具・小道具でいっぱいだったそうで、沢山のお弟子さんが一同に集まると大変だったのではないでしょうか。
なお、やはりwikipediaの過去の記述で、4軒長屋のうち正蔵の住んでいた住戸を含む左側2戸分が取り壊され、残りの2戸は現存しているとあったのですがこれも当然誤りで、4戸とも全て現在は存在しません(wikipediaの記述は現在は訂正されています)
さて、そのパーキングの右側に2軒長屋が現存しまして、その右側の住戸には「翁家さん馬」と表札が掲げられています。11代目翁家さん馬師は9代目桂文治の養子で2008年に亡くなっており、すでにそれから8年経過していますが、こうやって表札を残してくれているのは落語ファンとして嬉しい限りで、なにより、留さん文治の住んだ住戸がこうやって残っていることは、変化の激しい東京という街にとって奇跡とも思えます。
もう1本、裏手の通り、先代正蔵師旧宅から歩いて30秒とかからない所に、「寿湯」という銭湯があり、嬉しい事に現在も営業しています。先代正蔵師や先々代文治師が通った銭湯であるのは間違いありません。私も手拭い1本ぶら下げて入浴。この付近最近では治安があまりよろしくない所のようで、ロッカーには「窃盗事件が頻発しています」との注意書きが書き添えられています。入浴してみたい皆様、くれぐれもご用心を。
追記:過去の4軒長屋があった頃の写真が下URLのページで紹介されています。興味のある方は一読を。
http://www.dagashi.org/tokyo/h_ueno1.html
具体的に場所を特定するためにいつものごとく国会図書館の地図室へ赴き、過去の住宅地図を漁って探してみました。(下はクリックすると大きな画像で見られます)。
稲荷町駅のすぐそばだということで、場所はあっさり分かりました。なぜか「林屋」と誤記されています。
先代正蔵の住まいは清州橋通り側の4軒長屋の一番左手の住戸、九代目文治はその右隣の2軒長屋の右側に住んでいました。最近までwikipediaで「彦六と九代目文治は、同じ長屋の隣同士だった」との記述がありましたがこれは誤りです(現在は訂正されている)。また、2人の住む長屋の向かいにある「上野下アパート」とはいわゆる同潤会アパート。都内とその近辺に16ヵ所あった同潤会アパートの内、最後まで残った建築物ですが2013年に取り壊されました。
さて、12月のある日、先代正蔵師の旧宅跡へと赴いてみました。 地下鉄稲荷町駅を出て30秒とかかりません。浅草通りの1本北側の通り、下の写真で右側が同潤会アパートがかつてあった場所で現在は15階建てほどのマンションになっています。左側のコイン・パーキングがある場所が、かつて先代正蔵師が住まわっていた4軒長屋の跡になります。
現在はクルマ4台しか留められないこの駐車場。ここに4戸のお宅があった訳ですから今の感覚では信じられません。2階建てだったこの長屋。先代正蔵師のお宅の2階は芝居噺で使う大道具・小道具でいっぱいだったそうで、沢山のお弟子さんが一同に集まると大変だったのではないでしょうか。
なお、やはりwikipediaの過去の記述で、4軒長屋のうち正蔵の住んでいた住戸を含む左側2戸分が取り壊され、残りの2戸は現存しているとあったのですがこれも当然誤りで、4戸とも全て現在は存在しません(wikipediaの記述は現在は訂正されています)
さて、そのパーキングの右側に2軒長屋が現存しまして、その右側の住戸には「翁家さん馬」と表札が掲げられています。11代目翁家さん馬師は9代目桂文治の養子で2008年に亡くなっており、すでにそれから8年経過していますが、こうやって表札を残してくれているのは落語ファンとして嬉しい限りで、なにより、留さん文治の住んだ住戸がこうやって残っていることは、変化の激しい東京という街にとって奇跡とも思えます。
もう1本、裏手の通り、先代正蔵師旧宅から歩いて30秒とかからない所に、「寿湯」という銭湯があり、嬉しい事に現在も営業しています。先代正蔵師や先々代文治師が通った銭湯であるのは間違いありません。私も手拭い1本ぶら下げて入浴。この付近最近では治安があまりよろしくない所のようで、ロッカーには「窃盗事件が頻発しています」との注意書きが書き添えられています。入浴してみたい皆様、くれぐれもご用心を。
追記:過去の4軒長屋があった頃の写真が下URLのページで紹介されています。興味のある方は一読を。
http://www.dagashi.org/tokyo/h_ueno1.html
コメント
_ にしゃん ― 2019年03月24日 07:53
東京の「林家」は、もともと「林屋」でした。東京の噺家が大阪へ行き「林家」を名乗った。その後、何故か?東京方も「林家」を名乗るようになった。なので、「林屋」の方が由緒正しい。上方「林家」は、六代目林家 正楽で絶えた。現林家は、笑福亭の亜流。
_ はろー ― 2019年04月08日 22:17
コメントありがとうございます。牛丼の『吉野家』を『吉野屋』と書き間違える人がたくさんいる、なぜかそんなことを思い出してしまいました。
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