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三代目三遊亭金馬・鉄道事故遭難の地へ行く2015年02月05日 23:21

 落語ファンなら良くご存じのよう、三代目三遊亭金馬は釣りから歩いて帰る途中、鉄道事故に遭い左足の先端部を切断。以後は釈台を置いて高座に出るようになります。今回はこの事故を徹底的に調べたくなりました。
 事故が起こったのが昭和29(1954)年2月5日。今日でちょうど61年目になります。現場は千葉県の佐倉駅付近の「鹿島川橋梁」という鉄橋上だと以前から聞いていました。千葉の鹿島川は印旛沼に注ぐ川で今でも釣りの名所であり、私の自宅にも比較的近い場所でしてクルマで15分程度でゆけます。JR総武本線の佐倉駅の西側2キロほどの所に鹿島川を渡る短い鉄橋があり、ここが先代金馬の事故現場だと長いこと私は思っていたのですが、今回細かく調べてみると違うという事が判明しました。事故が起こったのは確かに「鹿島川橋梁」なのですが、この鉄橋は反対側の佐倉駅の東側800メートルほどの場所にあり、またこの下を流れる川の名は「高崎川」。明治時代に造られた鉄橋の名はそのままで、川自体の名の方が変わったと考えられます。
 図書館であたってみると、佐倉駅近辺を撮影した昭和29年夏の航空写真が見つかりました。当時の国鉄佐倉駅は町の中心街とは多きくはずれた場所に位置し、駅付近は田んぼに囲まれていました。先代金馬はそんな田んぼの中を流れる川に(印旛沼に出かけたというのはおそらく誤り)釣りに来たのです。(下画像をクリックすると大きな画像で見られます)

三代目三遊亭金馬事故現場付近写真


 先代金馬の著書「浮世断語」によるとこの日の朝、たなご釣りに千葉のこの川まで出かけますが、川近くの工場が廃棄物を流していたのか川が汚染されており、早々と釣りを断念。徒歩でのその帰りに近道するためにこの鉄橋を渡っている時に事故に遭いました。左足切断の大怪我でしたが、不幸中の幸いで近くには国立佐倉病院があり、すぐに適切な処置を受けられたのでしょう。一命は取りとめました。下画像は事故を伝える当時の新聞記事。2月6日付け朝日新聞の朝刊と夕刊からです。

三代目金馬鉄道事故・新聞記事(1)


三代目金馬鉄道事故・新聞記事(2)


 朝日新聞では事故が起きたのは午前11時45分となっていますが、別の新聞では午後0時51分となっています。下の画像は昭和28年3月号の交通公社の時刻表復刻版です。午後0時42分に佐倉駅に到着する列車がありますので、後者の方が正しい時刻で列車が10分ほど遅れていたものだと私は推察しますがどうでしょう。

金馬鉄道事故時刻表


 また、wikipediaでは事故の当該列車を「総武本線」としていますが、これは正確に言うと誤り。現場は「総武本線」と「成田線」とが並行して走っている区間で、先代金馬が轢かれたのは「成田線」の列車でした。

 ということで、先日冬の良く晴れた風のやや強い日に過去の事故現場に行ってみました。事故の当時はあたりは一面の田んぼでしたが、現在では駅から住宅街が続き、件の鉄橋はその住宅街が途切れる付近にあります。高崎川は川幅は5メートルほどの小さな川でした。鉄橋から少し離れた場所で列車は来ないかと待っていると「成田エクスプレス」が勢いよく通過。事故の当時はもちろん蒸気機関車で時代は随分と変わったものです。

三代目三遊亭金馬鉄道事故現場(1)


 川の土手を歩き、鉄橋の下まで行ってみます。鉄橋の側面には「昭和27年」という銘が見えました。先代金馬が事故に遭った当時の鉄橋が今も使われているのですね。

三代目三遊亭金馬鉄道事故現場(2)


 せっかくなら、先代金馬が事故に遭った時と同じ成田線の上り列車の写真を撮ろうと待つこと15分ほど、成田空港から東京方面へ向かう快速電車が鉄橋に差し掛かりますので、タイミング良くシャッターを。

三代目三遊亭金馬鉄道事故現場(3)


 さて、この事故で大怪我を負った先代金馬のその後ですが、約8ヶ月後の10月10日に「東宝名人会」の高座に復帰。昭和39(1964)年に亡くなるまで、昭和の落語黄金期の中心的な噺家の一人として活躍したのは、ご存知の通りです。
 汽車に轢かれるという大きな災難に遭いながら、命は救われた。大衆性にかけては右に出る者のいない先代金馬にこの運の強さがなかったら、落語黄金期もまた別の姿になっていたかもしれません。