古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 |
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CDブック「圓朝祭の五代目柳家小さん」発売 ― 2015年08月01日 18:56
先日、このブログで「最近名人上手のCD発売がない」と記したばかりですが、五代目小さん師の新CD(正確にいうとCDブック)が7月24日に発売されていることが分かりました。以下、小学館のサイトのPRページです。
http://www.shogakukan.co.jp/books/09480187
「東京かわら版」にも広告や情報はなく、つい最近までまったく知りませんでした。先日、西新宿にあるミュージック・テイト(落語など演芸のCD・DVDを専門に扱っているお店)へ行きましたら、このCDブック発売を告げるポスターが貼ってあり、始めて知りまして、慌てて購入した次第です。CDブックは7月から10月まで1冊ずつ、計4冊の発売。1冊に2枚のCD、4席(第4巻のみ5席)の落語が収録されているとのこと。価格は1冊2300円(税抜き)ですから、まあまあお求めやすいのではないでしょうか。7月24日に発売された第1巻の演目は「へっつい幽霊」「夏どろ」「将棋の殿様」「粗忽の使者」で、1985年から1988年に収録された音源です。
で、肝心の内容です。1985年から2001年の間の(以前の)イイノホールなどでの、圓朝祭での先代小さん師の口演を収録したものです。師の芸は早くから完成したといって良いものであり、50歳代(1960年代)の音源も多く発売されていますが、今回はあえて70歳以降、亡くなる間近までの円熟の芸をCD化したところに特徴があるのでしょう。私は新宿での紀伊國屋寄席に一時期毎月のように通っており、レギュラー出演していた晩年の先代小さん師の高座も何度もみています。転機となったのは、やはり1996年に脳梗塞を起こしてからで、このころから急速に口の回りが悪くなり、さらに1席の落語をきちんと終えられないということも間々ありました。今回のCDブックでは、このように衰えていった1996年以後の最晩年の口演も収録されています。ちゃんと喋れているのか不安でもありますが、歴史にも残る五代目柳家小さんという落語家のありのままの記録として、貴重なCDブックではないでしょうか。
http://www.shogakukan.co.jp/books/09480187
「東京かわら版」にも広告や情報はなく、つい最近までまったく知りませんでした。先日、西新宿にあるミュージック・テイト(落語など演芸のCD・DVDを専門に扱っているお店)へ行きましたら、このCDブック発売を告げるポスターが貼ってあり、始めて知りまして、慌てて購入した次第です。CDブックは7月から10月まで1冊ずつ、計4冊の発売。1冊に2枚のCD、4席(第4巻のみ5席)の落語が収録されているとのこと。価格は1冊2300円(税抜き)ですから、まあまあお求めやすいのではないでしょうか。7月24日に発売された第1巻の演目は「へっつい幽霊」「夏どろ」「将棋の殿様」「粗忽の使者」で、1985年から1988年に収録された音源です。
で、肝心の内容です。1985年から2001年の間の(以前の)イイノホールなどでの、圓朝祭での先代小さん師の口演を収録したものです。師の芸は早くから完成したといって良いものであり、50歳代(1960年代)の音源も多く発売されていますが、今回はあえて70歳以降、亡くなる間近までの円熟の芸をCD化したところに特徴があるのでしょう。私は新宿での紀伊國屋寄席に一時期毎月のように通っており、レギュラー出演していた晩年の先代小さん師の高座も何度もみています。転機となったのは、やはり1996年に脳梗塞を起こしてからで、このころから急速に口の回りが悪くなり、さらに1席の落語をきちんと終えられないということも間々ありました。今回のCDブックでは、このように衰えていった1996年以後の最晩年の口演も収録されています。ちゃんと喋れているのか不安でもありますが、歴史にも残る五代目柳家小さんという落語家のありのままの記録として、貴重なCDブックではないでしょうか。
人形町末広跡へ行く ― 2015年08月05日 20:57
先日夕刻、時間に少し余裕がありましたので地下鉄人形町駅で下車し、落語定席の寄席であった人形町末広の跡地へ行ってみることにしました。ネットの情報でかつての所在地は分かっていたのですが、なぜかなかなか現地へ行ってみようと思い立ちませんでした。
人形町末広というと、三遊亭圓生がしばしば独演会を開いていた場であり、その音源の一部はアポロンというメーカーからカセットテープで発売されていました。しかしこのメーカーは潰れてしまったようで、以後は他から発売されていません。是非CDとして再び世に出して欲しいものですが、ひょっとして原盤が行方不明にでもなっているのでしょうか。
その録音の中でこの寄席を知る上で興味深いものがあります。「落語はろー・データ編」リスト、「お化け長屋・テイク1」の冒頭で、師は以下のように話しています。
エー、いつも独演会で別にサービスがこざいませんので、エー何かと思いまして、北千住から人形町まで地下鉄を開通しました。エー、本当は明日からというのを独演会があるから是非今日にしてくれという。これは独演会のサービスでございます。
これが収録されたのは、1962(昭和37)年5月31日。ちょうど地下鉄日比谷線が北千住から人形町まで開通した日でした。独演会のあった日と地下鉄開通の日が偶然に重なった。またその時の録音が残っている。ちょっとこれは面白いと思います。
次に「ちきり伊勢屋(上)・テイク1」。1969年12月27日の録音。人形町末広での最後の圓生独演会で、この口演では冒頭で
エー、末広もいよいよもう、来年の20日までで最後でございまして、エーいろいろ事情がありまして、移転をいたします。エー、あとは麹町の方でご主人がマンションを拵えるそうで。マンションを拵えないで寄席を拵えてくれる方がよかったんですけれど、やはりそういう訳にもいきませんで、
歴史ある寄席という拠点を失ってしまう無念さを強く感じさせます。こうして長年噺家やファンに愛され続けてきた人形町末広は、1970(昭和45)年1月20日の興行を最後に閉場しました。最後に高座へ上がったのは五代目古今亭今輔だったとのこと。
上画像(クリックすると大きな画像で見られます)は1965(昭和40)年に発行された住宅地図の人形町交差点付近です。赤丸で囲んだ場所が人形町末広。前の道路にはまだ都電が走っていました。走っていたのは新宿駅前と水天宮を結ぶ13系統と千住四丁目と水天宮を結ぶ21系統。1969年10月には廃止になっています。
ということで、跡地へ行ってきたわけです。地下鉄の人形町交差点側出口を出てすぐ見える、「読売IS」という会社のビルが人形町末広の跡地です。
その跡地のビルの隣には歌舞伎「与話情浮名横櫛」でお馴染みの「玄冶店」の跡(下写真)の石碑があります。この名は幕府の医師であった「岡本玄冶」の拝領屋敷があったことから付けられたとのこと。
さて、嬉しいことに「読売IS」のビルの入り口脇の下に「寄席人形町末広跡」という石碑があり、その上のガラスには解説が書かれています。以下その解説。
この地は、幕末の慶応3年(1867)から昭和45年(1970)までの103年間、人形町末広として多くの人に親しまれる落語定席でした。客席すべて畳敷きというのが特徴で、マイクなしでも客席の隅々まで演者の声が聞こえる造り等、今でも伝説の寄席と称されています。平成16年(2004)年に広告会社「読売IS」本社ビルが建築され、現在に至っています。
人形町末広が閉場してすでに45年。東京という都市の変化に伴って消えた「灯」をいつまでも語り継いでもらいたいものです。
人形町末広というと、三遊亭圓生がしばしば独演会を開いていた場であり、その音源の一部はアポロンというメーカーからカセットテープで発売されていました。しかしこのメーカーは潰れてしまったようで、以後は他から発売されていません。是非CDとして再び世に出して欲しいものですが、ひょっとして原盤が行方不明にでもなっているのでしょうか。
その録音の中でこの寄席を知る上で興味深いものがあります。「落語はろー・データ編」リスト、「お化け長屋・テイク1」の冒頭で、師は以下のように話しています。
エー、いつも独演会で別にサービスがこざいませんので、エー何かと思いまして、北千住から人形町まで地下鉄を開通しました。エー、本当は明日からというのを独演会があるから是非今日にしてくれという。これは独演会のサービスでございます。
これが収録されたのは、1962(昭和37)年5月31日。ちょうど地下鉄日比谷線が北千住から人形町まで開通した日でした。独演会のあった日と地下鉄開通の日が偶然に重なった。またその時の録音が残っている。ちょっとこれは面白いと思います。
次に「ちきり伊勢屋(上)・テイク1」。1969年12月27日の録音。人形町末広での最後の圓生独演会で、この口演では冒頭で
エー、末広もいよいよもう、来年の20日までで最後でございまして、エーいろいろ事情がありまして、移転をいたします。エー、あとは麹町の方でご主人がマンションを拵えるそうで。マンションを拵えないで寄席を拵えてくれる方がよかったんですけれど、やはりそういう訳にもいきませんで、
歴史ある寄席という拠点を失ってしまう無念さを強く感じさせます。こうして長年噺家やファンに愛され続けてきた人形町末広は、1970(昭和45)年1月20日の興行を最後に閉場しました。最後に高座へ上がったのは五代目古今亭今輔だったとのこと。
上画像(クリックすると大きな画像で見られます)は1965(昭和40)年に発行された住宅地図の人形町交差点付近です。赤丸で囲んだ場所が人形町末広。前の道路にはまだ都電が走っていました。走っていたのは新宿駅前と水天宮を結ぶ13系統と千住四丁目と水天宮を結ぶ21系統。1969年10月には廃止になっています。
ということで、跡地へ行ってきたわけです。地下鉄の人形町交差点側出口を出てすぐ見える、「読売IS」という会社のビルが人形町末広の跡地です。
その跡地のビルの隣には歌舞伎「与話情浮名横櫛」でお馴染みの「玄冶店」の跡(下写真)の石碑があります。この名は幕府の医師であった「岡本玄冶」の拝領屋敷があったことから付けられたとのこと。
さて、嬉しいことに「読売IS」のビルの入り口脇の下に「寄席人形町末広跡」という石碑があり、その上のガラスには解説が書かれています。以下その解説。
この地は、幕末の慶応3年(1867)から昭和45年(1970)までの103年間、人形町末広として多くの人に親しまれる落語定席でした。客席すべて畳敷きというのが特徴で、マイクなしでも客席の隅々まで演者の声が聞こえる造り等、今でも伝説の寄席と称されています。平成16年(2004)年に広告会社「読売IS」本社ビルが建築され、現在に至っています。
人形町末広が閉場してすでに45年。東京という都市の変化に伴って消えた「灯」をいつまでも語り継いでもらいたいものです。
次回の『日本の話芸』は放送時間が変更になります ― 2015年08月07日 02:08
NHK教育で毎週日曜日に放送されている『日本の話芸』ですが、次回8月9日の放送時間は放送時間が変更になりまして、午後4時30分から午後5時の放送となります。視聴・録画される方は注意しましょう。以下はNHKの日本の話芸のサイトのURLです。
http://www4.nhk.or.jp/P659/
それにしても、2日に放送されたこの番組では、次週9日の放送時間が変更になる旨の告知は毎度のことながらありませんでした。実はこういう件に関して、「放送日時が変更になる場合があるのはやむを得ないとして、その場合は前週の放送でテロップ等で告知してくれませんか」との要望を「NHKへのご意見・お問い合わせ」のページから今年4月に投稿したのですが、いまだもって返事がきません。毎週番組を視聴している人間として当然の要望でしょうし、番組の最後にチョロっとテロップを入れてほしいという意見さえ受け付けてくれない。それどころか返事も寄こさない。この一事をもってあれこれ言うのも何ですが、これが今のNHKの体質なのかなと、呆れてしまいます。
http://www4.nhk.or.jp/P659/
それにしても、2日に放送されたこの番組では、次週9日の放送時間が変更になる旨の告知は毎度のことながらありませんでした。実はこういう件に関して、「放送日時が変更になる場合があるのはやむを得ないとして、その場合は前週の放送でテロップ等で告知してくれませんか」との要望を「NHKへのご意見・お問い合わせ」のページから今年4月に投稿したのですが、いまだもって返事がきません。毎週番組を視聴している人間として当然の要望でしょうし、番組の最後にチョロっとテロップを入れてほしいという意見さえ受け付けてくれない。それどころか返事も寄こさない。この一事をもってあれこれ言うのも何ですが、これが今のNHKの体質なのかなと、呆れてしまいます。
人形町末広「圓生独演会」CDブックが発売されます ― 2015年08月11日 09:26
過去の名人上手の音源を集めているコレクターに久々にビッグなニュースが飛び込みました。昨日発売の「サライ」という雑誌で落語の特集が組まれており、圓生師の「ちきり伊勢屋(下)」のCDが付録として付いています。その雑誌中の告知によると、小学館より「人形町末広・圓生独演会」CDブックが発売になるとのこと。CDが16枚組で価格は2万7千円+税、9月30日の発売予定です。それにしても私は8月5日のこのブログで人形町末広の跡地を訪ねたことを記事にしたばかりです。もちろんこのCDブックに関しては何も知りませんでした。こういうのを「共時性」というのでしょうか?
このCDブックについての小学館のPRページURLは以下の通りです。
http://www.shogakukan.co.jp/books/09480127
<追記 2015-8-27>
このリンク先は現在削除されています。発売延期、または発売中止になったものと思われますが、詳しい事は分かりません。
<追記2 2015-9-11>
リンク先復活しました。発売日が10月9日に変更になったそうです。
<追記終わり>
昭和36年から44年にかけて、人形町末広で口演された「圓生独演会」の録音の一部は、かつてアポロンのカセットテープとCBSソニーのレコードで発売されていました。その15席に加え、今回のCDブックでは8席が初めてこの世に出る新音源だとのこと。この時期は志ん生師、先代文楽師が相次いで落語界の第一線から離れていった頃。変わってそれまで「上手い落語家」と言われていた圓生師が、いよいよ落語界随一の名人として名を高めていった時期だと言えましょう。この人形町末広での独演会の録音で、まさに名人になろうという頃の光り輝いていた圓生師の口演が楽しめると思います。また、音源のマスタリングは草柳俊一氏でして、雑誌「サライ」付録のCDを聴いてみても音質的に十分良いと言えるものです。
これほど質の高いCD集は滅多に出ないと思います。音源コレクターのみならず、これから落語を本格的に楽しみたいという方にもお勧めできるCDブックだと思います。
このCDブックについての小学館のPRページURLは以下の通りです。
http://www.shogakukan.co.jp/books/09480127
<追記 2015-8-27>
このリンク先は現在削除されています。発売延期、または発売中止になったものと思われますが、詳しい事は分かりません。
<追記2 2015-9-11>
リンク先復活しました。発売日が10月9日に変更になったそうです。
<追記終わり>
昭和36年から44年にかけて、人形町末広で口演された「圓生独演会」の録音の一部は、かつてアポロンのカセットテープとCBSソニーのレコードで発売されていました。その15席に加え、今回のCDブックでは8席が初めてこの世に出る新音源だとのこと。この時期は志ん生師、先代文楽師が相次いで落語界の第一線から離れていった頃。変わってそれまで「上手い落語家」と言われていた圓生師が、いよいよ落語界随一の名人として名を高めていった時期だと言えましょう。この人形町末広での独演会の録音で、まさに名人になろうという頃の光り輝いていた圓生師の口演が楽しめると思います。また、音源のマスタリングは草柳俊一氏でして、雑誌「サライ」付録のCDを聴いてみても音質的に十分良いと言えるものです。
これほど質の高いCD集は滅多に出ないと思います。音源コレクターのみならず、これから落語を本格的に楽しみたいという方にもお勧めできるCDブックだと思います。
次回も『日本の話芸』放送時間が変更になります ― 2015年08月12日 06:01
前回に引き続き、次回のNHK教育テレビ「日本の話芸」も放送時間が変更になります。
http://www4.nhk.or.jp/P659/
8月16日の放送は、通常より1時間遅れで午後3時から。視聴・録画される方は注意しましょう。
http://www4.nhk.or.jp/P659/
8月16日の放送は、通常より1時間遅れで午後3時から。視聴・録画される方は注意しましょう。
NHK-FMで『オペラ寄席 すぱげっ亭』放送 ― 2015年08月13日 09:11
8月17日(月)から21日(金)の間の5日間、NHK-FMで『オペラ寄席 すぱげっ亭』という不思議なタイトルの番組が放送されるとのこと。「オペラ寄席」と聞くと、三遊亭究斗師の「ミュージカル落語」のようなものを想像してしまうかも知れませんが、形態としては逆で、「オペラ」で演じられている演目を落語・講談などの演芸で口演するものだそうです。以下は、NHKの番組告知ページのURL。
http://www4.nhk.or.jp/P3637/
神田京子先生のブログ(http://blog.kandakyoko.com/?eid=1416855)によると
*特番 オペラ寄席「すぱげっ亭」2015 inサマー放送決定!
8月17日(月)~21(金)連続5日間放送
18:00~18:50 NHK FM
名作オペラを日本の伝統話芸で物語る「リストランテ」
(以下敬称略)
構成台本:桜田ゆみ
第1夜「椿姫」講談師:神田陽子
第2夜「トスカ」関東落語:春風亭一之輔
第3夜「カルメン」講談師」:神田京子
第4夜「セビリヤの理髪師」漫才師:おぼんこぼん
第5夜「魔笛」上方落語:桂かいし
(京子・かい枝師匠・おぼんこぼん先生のは、去年収録の作品再放送です)
だとのこと。ちょっとこれは「ゲテモノ」の類かもしれませんが、興味のある方はエアチェックを。
http://www4.nhk.or.jp/P3637/
神田京子先生のブログ(http://blog.kandakyoko.com/?eid=1416855)によると
*特番 オペラ寄席「すぱげっ亭」2015 inサマー放送決定!
8月17日(月)~21(金)連続5日間放送
18:00~18:50 NHK FM
名作オペラを日本の伝統話芸で物語る「リストランテ」
(以下敬称略)
構成台本:桜田ゆみ
第1夜「椿姫」講談師:神田陽子
第2夜「トスカ」関東落語:春風亭一之輔
第3夜「カルメン」講談師」:神田京子
第4夜「セビリヤの理髪師」漫才師:おぼんこぼん
第5夜「魔笛」上方落語:桂かいし
(京子・かい枝師匠・おぼんこぼん先生のは、去年収録の作品再放送です)
だとのこと。ちょっとこれは「ゲテモノ」の類かもしれませんが、興味のある方はエアチェックを。
八代目三笑亭可楽の墓参りに行く ― 2015年08月25日 00:12
昨日、8月23日は八代目三笑亭可楽師の命日でした。師が亡くなったのは1964(昭和39)年。まもなく東京オリンピックが始まろうという頃でした。現在、「三笑亭」の亭号を持つ噺家さんは落語芸術協会に十名ほどいらっしゃいますが、すべてこの八代目可楽師の系統の噺家さんですね。夏の暑さもやや和らいだ日曜のよく晴れた日、墓参りへと赴きます。
地下鉄を乗り継いで千代田線の千駄木駅で下車。団子坂下交差点側の出口を出、信号を渡って東へ。5分ほどゆるい登坂を歩くと左手にあるのは落語ファンにはお馴染み「全生庵」。この時期には幽霊画が公開されているはずですが見学する時間はなく通り過ぎます。このすぐ先、北側へと延びる一直線の細い道がありここを左折。1分ほど歩くと右側に目指す谷中の臨済宗の寺「興禅寺」がありました。
八代目可楽師の墓参りの前に、同じくこの寺にある初代桂小南師の墓へ。ついでの墓参りは良くないと言われますが、ここまで来て無視する訳にもいきません。本堂の裏手に行くと「岩田家之墓」と刻まれた墓はすぐに見つかりました。初代小南師は本名が岩田秀吉。1947(昭和22)年に67歳で亡くなっています。先日亡くなった桂米朝師も東京での学生時代に、師の最晩年の高座を見たとか。八代目桂文楽師の最初の師匠であり、「電気踊り」なる珍奇な芸で寄席を沸かせたことでも有名ですね。
さて、いよいよ先代可楽師の墓参りです。目指す墓はどこにあるのか。あらかじめネットの有名人の墓を紹介するサイトをあたり、「墓地の入り口付近の大きな木の下」という情報を得ていたのですが、その付近をいくら探しても見つからない。しばらく墓地をウロウロしていると、この寺の方と思われる女性が姿を現し、思い切ってお墓がどこにあるのかを聴くとあっさりと場所は分かりました。サイト情報とはまるで違う場所で、ネットが有用な情報源であるのは事実ですが、すべてを鵜呑みにはできません。墓は本堂裏手のポンプ井戸のある付近に。さきほど参った初代小南師の墓からそれほど距離はありません。
さて、墓石正面には大きく「聖應院仁貞省心居士」という戒名が刻まれていますが、これは先代可楽師のものではありません。墓石左側面には「通称 麹池省三」、右側には「明治廿九年五月五日没」と記されています。先代可楽師は明治31年の生まれですから、師の祖父あたりの名ではないかと推測します。
墓石左側の下の方には、
「清雅院眞覺大夢居士」昭和三十九年八月二十三日
八代目三笑亭可楽 俗名麹池元吉 行年六十八才
と刻まれています。なんとも清々しい感じのする戒名で、師の渋いイメージにはあまり合わないなぁ、と言っては失礼でしょうか。
まだ朝の早い時間だったためか、墓前にはまだ花も線香も供えられていません。夏の陽は照り付けているものの、風があって凌ぎやすい、そんな谷中の寺町を歩きながら次の目的地に向かいました。
地下鉄を乗り継いで千代田線の千駄木駅で下車。団子坂下交差点側の出口を出、信号を渡って東へ。5分ほどゆるい登坂を歩くと左手にあるのは落語ファンにはお馴染み「全生庵」。この時期には幽霊画が公開されているはずですが見学する時間はなく通り過ぎます。このすぐ先、北側へと延びる一直線の細い道がありここを左折。1分ほど歩くと右側に目指す谷中の臨済宗の寺「興禅寺」がありました。
八代目可楽師の墓参りの前に、同じくこの寺にある初代桂小南師の墓へ。ついでの墓参りは良くないと言われますが、ここまで来て無視する訳にもいきません。本堂の裏手に行くと「岩田家之墓」と刻まれた墓はすぐに見つかりました。初代小南師は本名が岩田秀吉。1947(昭和22)年に67歳で亡くなっています。先日亡くなった桂米朝師も東京での学生時代に、師の最晩年の高座を見たとか。八代目桂文楽師の最初の師匠であり、「電気踊り」なる珍奇な芸で寄席を沸かせたことでも有名ですね。
さて、いよいよ先代可楽師の墓参りです。目指す墓はどこにあるのか。あらかじめネットの有名人の墓を紹介するサイトをあたり、「墓地の入り口付近の大きな木の下」という情報を得ていたのですが、その付近をいくら探しても見つからない。しばらく墓地をウロウロしていると、この寺の方と思われる女性が姿を現し、思い切ってお墓がどこにあるのかを聴くとあっさりと場所は分かりました。サイト情報とはまるで違う場所で、ネットが有用な情報源であるのは事実ですが、すべてを鵜呑みにはできません。墓は本堂裏手のポンプ井戸のある付近に。さきほど参った初代小南師の墓からそれほど距離はありません。
さて、墓石正面には大きく「聖應院仁貞省心居士」という戒名が刻まれていますが、これは先代可楽師のものではありません。墓石左側面には「通称 麹池省三」、右側には「明治廿九年五月五日没」と記されています。先代可楽師は明治31年の生まれですから、師の祖父あたりの名ではないかと推測します。
墓石左側の下の方には、
「清雅院眞覺大夢居士」昭和三十九年八月二十三日
八代目三笑亭可楽 俗名麹池元吉 行年六十八才
と刻まれています。なんとも清々しい感じのする戒名で、師の渋いイメージにはあまり合わないなぁ、と言っては失礼でしょうか。
まだ朝の早い時間だったためか、墓前にはまだ花も線香も供えられていません。夏の陽は照り付けているものの、風があって凌ぎやすい、そんな谷中の寺町を歩きながら次の目的地に向かいました。
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