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柏木と中野坂上~かつての圓生居宅をゆく(その2)2013年01月16日 03:24

 (前の項からの続きです)圓生師が柏木に住み始めたのは1957(昭和32)年からで、当時の淀橋第二小学校の校門の前の家でしたが、目の前の小学校の拡声器から発っせられる校内放送や音楽の騒音に悩まされ、なにより困るのは落語の稽古に差し障りがあることでした。1966(昭和41)年、居宅の150メートルほど北にマンションが新築され、このマンション2室と現在住んでいる土地・住居とを等価交換することになり引っ越すことになりました。圓生師の家族も弟子の圓丈師もこの交換で土地を手放すことには「もったいない」と驚いたと後々記しています。圓生師はサッシ窓で外からの騒音が入らない等、マンションの住み心地の良さに何より気に入ったようで、古典落語という伝統芸能を守る立場でありながら、現代の合理的なものは積極的に取り入れてゆくという圓生師の考え方が現れているように思えます。そして引っ越したマンションですが、この築47年にもなるマンションは現存します。時折通る人の視線を気にしながら写真を撮りました。
圓生師、柏木のマンション
 このマンションの4階の部屋には5年ほど住み、1971(昭和46)年には中野坂上駅近くのマンションに越します。西新宿駅から中野坂上駅までは地下鉄で一駅ですが、歩いてゆくことにします。かつての柏木の家から徒歩5分程の所に「成子天神社」というのがあるはずなのですが、工事中で高い塀に阻まれ入れません。どうしたことかと家へ帰ってネットで調べてみると境内に30階ほどの高層マンション2棟を建設中だとか。変化の激しいこの町は数少ない昔からの風情をそのままにすることを許しません。
 青梅街道を西に歩き、「淀橋」という短い橋を渡って中野区に入ると、目指す中野坂上の圓生師宅のあった場所は間もなくです。鳥居のあるあたりから、北側へはいり何度か曲がるとそのマンションにたどり着きます。
圓生師、中野坂上のマンション
 中野坂上の駅からは歩いて3分ほどの場所にある南傾斜の住宅地の中で青梅街道の喧騒も聞こえず住むには良さそうな所です。1971(昭和46)年から1979(昭和54)年に亡くなるまでここが圓生師の居宅となりました。果たして現在このマンションに住む人たちは昭和を代表する名人落語家がここに居していたことを知っているのでしょうか。圓生師は仕事の時以外は運転手付きのクルマは使わず、私事の際には地下鉄をもっぱら使っていたとの事ですが、師のかつて通い慣れたであろう道を歩き、駅へと向かい『圓生師の聖地巡礼』を終了としました。

コメント

_ snob ― 2013年01月16日 04:10

マンションに住まった経緯がおかげでわかりました。早くからテープレコーダーを買って練習に使っていた人ですから、合理性の表れだったんですね。(発見されたという練習テープ・高座テープはガセだったのかな?)

チャンスがあればひいきの店とか紹介してください。

_ mirach ― 2013年01月16日 06:45

どこに住むかでその人の人となりが分かったりしますね。発見されたテープは圓生師の死後、著作物を管理していた次男の佳男さん(故人)の遺品を子息が整理した際に出てきたものだそうです。ぜひ、世に出して欲しいですね。

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