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十一代目桂文治襲名披露@新宿末広亭2012年09月22日 15:04

 先日このブログで落語家さんの襲名のことについて記しました。折しも東京の寄席では桂平治改め十一代目桂文治の襲名披露興行が始まりました。このブログをご覧の方になら申し上げるまでもありませんが、桂派の宗家の名跡で、東京・上方に数多いる「桂」の亭号を持つ噺家さんたちの頂点に立つ名ですね。新・文治は40歳代半ば(ちなみに私とは同い年)で魚でいえば「中トロ」ぐらい。大名跡を継ぐには丁度良い頃合といえましょう。私も「寄席へ行きたい」という虫がうずき始め久々に新宿末広亭に行くことにしました。寄席に行くのは1年ぶりくらい、新宿末広亭へは3年ぶりくらいでしょうか。都心まで電車で1時間ほどの所に住んでいながら1年も寄席に行っていなかったとは、落語ファンとして劣等生です。ということで訪れた新宿末広亭。この寄席の名物はなんといっても「桟敷席」ですが、これはいわゆる「既存不適格」で現在の法令基準には適合しないそうです。さらに避難用出口の確保の点でも問題があるとか。昭和21年に建てられたこの愛すべき寄席建物も、数年のちには建て替えが課題となるでしょうが、この昔ながらの風情を残せるのでしょうか。
 さて、記念の写真を何枚か撮って場内へ。客の入りは私が入った頃は7割程度でしたが、ポツリポツリと客は増え、中入りの頃にはほぼ満席になりました(当然2階は開いていない)。本日は襲名興行初日という事で客席の後方には、マスコミの姿も。白髪の男性はご存じ落語写真家の横井洋司氏。他にはNHKや読売新聞、共同通信を確認しました。果たしてテレビや新聞紙面でこの落語界の大名跡襲名のニュースは報道されるのでしょうか。また客席最後列の「関係者席」と書かれた所には京須偕充氏の姿も。
 中入り後に、襲名披露口上。三遊亭小遊三・春風亭小柳枝・昔昔亭桃太郎・瀧川鯉昇という寄席ファンにはおなじみの顔の他、特別ゲストとして毒蝮三太夫が袴姿で口上の席に並びました。「文治というのは大変由緒ある名で、初代は聖武天皇の頃…」とお馴染みのデタラメで客席を湧かせます。
 8時半になり、いよいよ新・文治の高座です。おや、出囃子が「武蔵名物」なんですね。先代文治師匠のお馴染みの出囃子です。何を演じるか、私は勝手に「妾馬」とふんでいたのですが、始まったのは新・文治が自身でもっとも得意な演目に挙げている「らくだ」。鼻つまみ者の死を長屋中で喜ぶというなんとも遣り切れない噺で圓生師などリアリズムを重視する噺家だと陰惨さが際立ってしまいます。しかし新・文治師はそんな陰惨さとは無縁でコミックマンガのように陽気で快活に噺を進めます。屑屋と兄貴分の人物描写をことさらデフォルメするのは分かりやすさを身上する新・文治師のサービスでしょう。屑屋の酔いが深まり立場が徐々に逆転する佳境の場面になると、客席からも大きな拍手が、40分間まったく飽きさせない一席でした。
 昔から今なお続く芸能もあれば消滅してしまった芸能もあります。そんな中で落語が生き残ってきたのは、どこにでもいるような市井の民を主人公とし、慎ましくもたくましく生きる庶民の姿を生き生きと描いてきたからであり、またそれが愛されてきたからでしょう。そんな落語が「寄席」というホームベースと共に末永く続いて欲しいと願う次第です。