古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 |
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「ラジオ深夜便・名人芸を味わう」は志ん生の「火焔太鼓」 ― 2015年05月03日 04:50
坐骨神経痛の症状が出てしまいました。特に足首の部分の痛みがひどく整形外科へ。幸いに椎間板ヘルニアでもなく快方にむかっています。ネットで「坐骨神経痛」について見てみると、正式に医者が開設しているサイト(結構怪しげな情報も多い)、資格の要らない整体師のサイト、さらに民間療法、効果不明のストレッチ体操を解説したサイトなど様々な情報が溢れています。Wikipeiaの情報にしても医者から聞いた事とは全く違っている! 坐骨神経痛に苦しむ人は多く、またこの症状には分からない部分も多くので、藁にもすがる気持ちで真偽不明のネット情報に惑わされてしまう方も多いようです。
さて、先日のNHK「ラジオ深夜便」の「名人芸を味わう」は古今亭志ん生の「火焔太鼓」でした。「落語はろー・データ編」のテイク7で、志ん生のノリも客の受けも今ひとつのテイクのように思えます。今回の放送では「プチ・プチ」というノイズが所々にあるので、LPレコードの音源を使ったものと思われます。このテイクならキングからCD発売されており、音質も良く、わざわざレコード音源を使うことはないのに。NHKの中でも複雑怪奇な志ん生の音源について、把握と整理とをし切れてないのでしょう。
この「名人芸を味わう」の放送は5月もありまして、28日の深夜、三代目三遊亭金馬の「居酒屋」がかかります。NHK音源の「居酒屋」は様々なカットバージョンがあり、果たして完全版で流れるのだろうか、興味深いところです。
さて、先日のNHK「ラジオ深夜便」の「名人芸を味わう」は古今亭志ん生の「火焔太鼓」でした。「落語はろー・データ編」のテイク7で、志ん生のノリも客の受けも今ひとつのテイクのように思えます。今回の放送では「プチ・プチ」というノイズが所々にあるので、LPレコードの音源を使ったものと思われます。このテイクならキングからCD発売されており、音質も良く、わざわざレコード音源を使うことはないのに。NHKの中でも複雑怪奇な志ん生の音源について、把握と整理とをし切れてないのでしょう。
この「名人芸を味わう」の放送は5月もありまして、28日の深夜、三代目三遊亭金馬の「居酒屋」がかかります。NHK音源の「居酒屋」は様々なカットバージョンがあり、果たして完全版で流れるのだろうか、興味深いところです。
ユーキャンより「落語傑作選東宝名人会」CD集発売 ― 2015年05月04日 18:02
ユーキャンという会社の通販で「落語傑作選東宝名人会」というCD集(15枚組)が最近発売されました。購入費用の工面などで時間がかかりまして、私は昨週やっと入手。このCD全集ですが、なぜかネット上にもほとんど情報がなく、検索しても引っかかりません。ユーキャンの通販サイトにも情報記載は全くなし。私はダイレクトメールでこのCD集の発売を知りました。ネットでの販売が(今のところ)無いというのは、何か売る側の戦略なのでしょうか。今のところ、ネットで購入する手段はないので、入手したい方はその方法等をユーキャンに直接お問い合わせください。
<追記 2015-6-23>
ユーキャンで、web上での販売を始めました。以下のURLをご参照ください。
http://www.u-canshop.jp/tohomeijinkai/
<追記終わり>
で、肝心の内容です。「落語はろー・データ編」に掲載した演者(志ん生、圓生、文楽(8)、柳橋(6)、小さん(5)、正蔵(8)、金馬(3)、可楽(8)、円歌(2)、馬生(10))のうち、新音源となるのは、圓生の「蒟蒻問答」と「転失気」。また同じく圓生の「阿武松」はこれまでCD化されていなかった音源です。その他の演者については、データを纏めてないので分かりませんが、今回、初めてCDとなった新音源が多いものと思われます。
総監修と解説は保田武宏氏、監修とマスタリングは草柳俊一氏。この2氏が関わっているのですから内容、音質とも問題はないでしょう。
以下に、収録内容と収録日(または放送日)のデータを掲載しておきます。
志ん生-風呂敷(1959-5-15OA 東宝名人会136中席)
志ん生-柳田角之進2(1965-1-31 三十一日会)
円生-蒟蒻問答(1977-2 東宝名人会776 中席)
円生-阿武松(? 東宝名人会)
円生-転失気(1966-11-23 東宝名人会406下席)
文楽(8)-鰻の幇間(1964-5-31 三十一日会)
文楽(8)-寝床(1964-8-31 三十一日会)
柳橋(6)-夢金(1964-1-31 三十一日会
小さん(5)-猫の災難(1978-10-17 東宝名人会836中席)
小さん(5)-万金丹(1982-9-20 東宝名人会954)
小さん(5)-かぼちゃ屋(1986-7-9 東宝名人会1055)
正蔵(8)-淀五郎(1964-10-31 三十一日会)
正蔵(8)-紫檀楼古木(1978-12-8 東宝名人会841上席)
正蔵(8)-一眼国(1963-8-31 三十一日会)
金馬(3)-錦の袈裟(1964-5-31 三十一日会)
金馬(3)-くしゃみ講釈(1959-4-17 東宝名人会134中席)
金馬(3)-たがや(1964-8-31 三十一日会)
円歌(2)-四段目(1963-8-31 三十一日会)
円歌(2)-首ったけ(1963-5-31 三十一日会)
可楽(8)-文違い(1963-8-31 三十一日会)
円遊(4)-後生鰻(1980-8-31 東宝名人会904下席)
今輔(5)-ねぎまの殿様(1964-10-31 三十一日会)
文治(9)-大師の杵(1966-11-26 東宝名人会408下席)
志ん馬(6)-真田小僧(1975-9-11 東宝名人会725中席)
馬生(10)-お見立て(1981-10-26 東宝名人会929)
馬生(10)-替り目(1981-9-18 東宝名人会921)
馬生(10)-長屋の花見(1980-5-3 東宝名人会892上席)
小南-鋳掛屋(? 東宝名人会)
小南-しじみ売り(1981-12-27 東宝名人会936)
百生-女護が島(1963-10-31 三十一日会)
助六(8)-長短(1981-8-13 東宝名人会920)
助六(8)-凝り相撲(1984-9-15 東宝名人会1019)
馬の助(1)-しの字嫌い(1975-9-14 東宝名人会725)
柳好(4)-味噌蔵(1982-11-17 東宝名人会964)
柳昇-日照権(1983-12-9 東宝名人会1000)
柳昇-免許証(1984-2-17 東宝名人会1001)
文治(10)-あわてもの(1983-11-4 東宝名人会992)
文治(10)-義眼(1982-9-17 東宝名人会953)
柳朝(5)-粗忽の釘(1975-9-11 東宝名人会725)
円菊-宮戸川(1980-4-30 東宝名人会891)
円蔵-猫と金魚(1988-5-25 東宝名人会1086)
円楽(5)-浜野矩随(1989-11-17 東宝名人会1112)
談志-居残り佐平次(1991-6-26 東宝名人会1135)
円歌(3)-授業中(1982-11-26 東宝名人会966)
円歌(3)-月給日(1981-7-16 東宝名人会917)
円歌(3)-浪曲社長(1983-4-18 東宝名人会976)
<追記 2015-6-23>
ユーキャンで、web上での販売を始めました。以下のURLをご参照ください。
http://www.u-canshop.jp/tohomeijinkai/
<追記終わり>
で、肝心の内容です。「落語はろー・データ編」に掲載した演者(志ん生、圓生、文楽(8)、柳橋(6)、小さん(5)、正蔵(8)、金馬(3)、可楽(8)、円歌(2)、馬生(10))のうち、新音源となるのは、圓生の「蒟蒻問答」と「転失気」。また同じく圓生の「阿武松」はこれまでCD化されていなかった音源です。その他の演者については、データを纏めてないので分かりませんが、今回、初めてCDとなった新音源が多いものと思われます。
総監修と解説は保田武宏氏、監修とマスタリングは草柳俊一氏。この2氏が関わっているのですから内容、音質とも問題はないでしょう。
以下に、収録内容と収録日(または放送日)のデータを掲載しておきます。
志ん生-風呂敷(1959-5-15OA 東宝名人会136中席)
志ん生-柳田角之進2(1965-1-31 三十一日会)
円生-蒟蒻問答(1977-2 東宝名人会776 中席)
円生-阿武松(? 東宝名人会)
円生-転失気(1966-11-23 東宝名人会406下席)
文楽(8)-鰻の幇間(1964-5-31 三十一日会)
文楽(8)-寝床(1964-8-31 三十一日会)
柳橋(6)-夢金(1964-1-31 三十一日会
小さん(5)-猫の災難(1978-10-17 東宝名人会836中席)
小さん(5)-万金丹(1982-9-20 東宝名人会954)
小さん(5)-かぼちゃ屋(1986-7-9 東宝名人会1055)
正蔵(8)-淀五郎(1964-10-31 三十一日会)
正蔵(8)-紫檀楼古木(1978-12-8 東宝名人会841上席)
正蔵(8)-一眼国(1963-8-31 三十一日会)
金馬(3)-錦の袈裟(1964-5-31 三十一日会)
金馬(3)-くしゃみ講釈(1959-4-17 東宝名人会134中席)
金馬(3)-たがや(1964-8-31 三十一日会)
円歌(2)-四段目(1963-8-31 三十一日会)
円歌(2)-首ったけ(1963-5-31 三十一日会)
可楽(8)-文違い(1963-8-31 三十一日会)
円遊(4)-後生鰻(1980-8-31 東宝名人会904下席)
今輔(5)-ねぎまの殿様(1964-10-31 三十一日会)
文治(9)-大師の杵(1966-11-26 東宝名人会408下席)
志ん馬(6)-真田小僧(1975-9-11 東宝名人会725中席)
馬生(10)-お見立て(1981-10-26 東宝名人会929)
馬生(10)-替り目(1981-9-18 東宝名人会921)
馬生(10)-長屋の花見(1980-5-3 東宝名人会892上席)
小南-鋳掛屋(? 東宝名人会)
小南-しじみ売り(1981-12-27 東宝名人会936)
百生-女護が島(1963-10-31 三十一日会)
助六(8)-長短(1981-8-13 東宝名人会920)
助六(8)-凝り相撲(1984-9-15 東宝名人会1019)
馬の助(1)-しの字嫌い(1975-9-14 東宝名人会725)
柳好(4)-味噌蔵(1982-11-17 東宝名人会964)
柳昇-日照権(1983-12-9 東宝名人会1000)
柳昇-免許証(1984-2-17 東宝名人会1001)
文治(10)-あわてもの(1983-11-4 東宝名人会992)
文治(10)-義眼(1982-9-17 東宝名人会953)
柳朝(5)-粗忽の釘(1975-9-11 東宝名人会725)
円菊-宮戸川(1980-4-30 東宝名人会891)
円蔵-猫と金魚(1988-5-25 東宝名人会1086)
円楽(5)-浜野矩随(1989-11-17 東宝名人会1112)
談志-居残り佐平次(1991-6-26 東宝名人会1135)
円歌(3)-授業中(1982-11-26 東宝名人会966)
円歌(3)-月給日(1981-7-16 東宝名人会917)
円歌(3)-浪曲社長(1983-4-18 東宝名人会976)
五代目柳家小さんの墓参りにゆく ― 2015年05月18日 18:18
5月16日は五代目柳家小さん師の命日でした。亡くなったのは2002年。私は寄席やホール落語で師の生の高座は何十回と見たと思います。新宿紀伊國屋ホールでは最前列の真ん中の席で高座を見る機会があり、リアルに師のツバを浴びることが出来たのは良い思い出です。現在に続く「柳家」の滑稽噺の完成形を作りあげた先代小さん師。亡くなって十数年経ってもCDやDVDで師の高座を楽しむことが容易にできるとは、世の進歩に感謝したいところです。
さて、墓詣りですが、wikipediaの師のページの「エピソード」の項を見ると、墓所を「南池袋の法明寺」と記してある。これは3代目柳家小さんの墓所です。どうしてこのような間違いが書かれてしまうのでしょうか。困ったものです。ちなみにその後の「略歴」の項では「世田谷区乗泉寺」と正しく記載されてます。寺の正確な名は「乗泉寺世田谷別院」。日蓮宗系の本門佛立宗の寺です。例によってグーグルアースで下調べをするとこの寺の墓所は広い。寺の場所はすぐに分かるが、墓地のどこに目指す師匠の墓はあるのか。まあ行けばなんとかなるだろうといつものようにお気楽な気持ちで寺へ赴きます。
小田急線の各駅停車で新宿から15分ほど。豪徳寺の駅で下車。駅を出て左側へ。道路幅の狭い商店街を南へ進み5分ほど。世田谷線の線路が右手に見えてきたところで右折し踏切を渡ってさらに100メートルほど歩くと乗泉寺世田谷別院はありました。(下写真をクリックすると大きな画像で見られます)
駅から徒歩5分ほどと言うと便利な場所のように思えますが、この付近は道幅が狭く一方通行の道路が多くて、しかも道は入り組んでいる。クルマで寺に来るのは少々厄介かも知れません。門より入って、駐車場の奥に大きなクスノキがあり、その裏手に歴代住職「**上人」の大きな墓が3基並んでいます。この右手を進むとすぐの右側に木の案内札があり「これより二基目右側 故五代目柳家小さん師匠のお墓です」と書かれています。この案内札については落語のようなちょっとした逸話がありまして、以前は札に「これより二つ目柳家小さんの墓」と書かれていたとか。天下の大名人を前に「二つ目」とは何ぞや。関係者やファンの間でも語られる有名な話ですが、エピソードとして出来すぎだとも思います。
こうして師の眠る墓はあっさり見つかりました。グレー系御影石のごく一般的な墓石でそれほど大きな墓ではありません。命日ということでお花も線香もふんだんに供えられています。墓の正面は崩した字体で読み取れないのですが「南無妙法蓮華経」で良いでしょうか。墓石右側面には、6人の故人の名が刻まれています。先祖代々の墓であって、五代目柳家小さん個人の墓ではないのですね。これほど名のある方なのに意外でした。戒名は「本行院殿法勲語咄日盛居士」。「語」と「咄」。同類の文字を2つ使うのはくどいかなとも思うのですが。まあよそ者が口を出すような事でもありません。師に落語を楽しませてくれたことを感謝しながら静かに手を合わせました。
今日は命日ということで、どなたか墓参りに来た落語家さんに遭遇できるかもと思ったのですが、時間が遅かったためかそういう機会には恵まれませんでした。来年来るときはもう少し早い時間にしようかな、そんなことを考えながら駅へと戻ります。
さて、墓詣りですが、wikipediaの師のページの「エピソード」の項を見ると、墓所を「南池袋の法明寺」と記してある。これは3代目柳家小さんの墓所です。どうしてこのような間違いが書かれてしまうのでしょうか。困ったものです。ちなみにその後の「略歴」の項では「世田谷区乗泉寺」と正しく記載されてます。寺の正確な名は「乗泉寺世田谷別院」。日蓮宗系の本門佛立宗の寺です。例によってグーグルアースで下調べをするとこの寺の墓所は広い。寺の場所はすぐに分かるが、墓地のどこに目指す師匠の墓はあるのか。まあ行けばなんとかなるだろうといつものようにお気楽な気持ちで寺へ赴きます。
小田急線の各駅停車で新宿から15分ほど。豪徳寺の駅で下車。駅を出て左側へ。道路幅の狭い商店街を南へ進み5分ほど。世田谷線の線路が右手に見えてきたところで右折し踏切を渡ってさらに100メートルほど歩くと乗泉寺世田谷別院はありました。(下写真をクリックすると大きな画像で見られます)
駅から徒歩5分ほどと言うと便利な場所のように思えますが、この付近は道幅が狭く一方通行の道路が多くて、しかも道は入り組んでいる。クルマで寺に来るのは少々厄介かも知れません。門より入って、駐車場の奥に大きなクスノキがあり、その裏手に歴代住職「**上人」の大きな墓が3基並んでいます。この右手を進むとすぐの右側に木の案内札があり「これより二基目右側 故五代目柳家小さん師匠のお墓です」と書かれています。この案内札については落語のようなちょっとした逸話がありまして、以前は札に「これより二つ目柳家小さんの墓」と書かれていたとか。天下の大名人を前に「二つ目」とは何ぞや。関係者やファンの間でも語られる有名な話ですが、エピソードとして出来すぎだとも思います。
こうして師の眠る墓はあっさり見つかりました。グレー系御影石のごく一般的な墓石でそれほど大きな墓ではありません。命日ということでお花も線香もふんだんに供えられています。墓の正面は崩した字体で読み取れないのですが「南無妙法蓮華経」で良いでしょうか。墓石右側面には、6人の故人の名が刻まれています。先祖代々の墓であって、五代目柳家小さん個人の墓ではないのですね。これほど名のある方なのに意外でした。戒名は「本行院殿法勲語咄日盛居士」。「語」と「咄」。同類の文字を2つ使うのはくどいかなとも思うのですが。まあよそ者が口を出すような事でもありません。師に落語を楽しませてくれたことを感謝しながら静かに手を合わせました。
今日は命日ということで、どなたか墓参りに来た落語家さんに遭遇できるかもと思ったのですが、時間が遅かったためかそういう機会には恵まれませんでした。来年来るときはもう少し早い時間にしようかな、そんなことを考えながら駅へと戻ります。
文化放送で志ん生「一目上がり」放送される ― 2015年05月22日 01:36
昨日、このブログに時折コメントをお寄せくださるsnobさんのブログを見て驚きました。4月26日の文化放送「志の輔ラジオ落語deデート」で志ん生の「一目上がり」(1966.01.01 NHKラジオでOAされた音源)が放送されていたのです。
http://door2summer.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-dfcd.html
志ん生の市販音源については、保田武宏氏の著作の『志ん生全席落語事典』或いは当方サイト『落語はろー・データ編』ですべて網羅している(前者についてはクラウン発売の非正規音源を除く)のですが、私はこの「一目上がり」の音源だけは入手できずにいました。ユピテルというメーカーから1979年にカセットテープで発売されたこの音源。落語はろーをご覧の方のご協力をあおいでもどうしてもこの音だけは入手できなかったのです。それが今回この放送によって期せずして聞く機会を得られました。しかし、この番組。文化放送以外の他局音源に関しては容易に入手できる市販のCD音源を流すのが常なのに、どうして今回に関しては40年近く前に発売されたマイナー・メーカーのカセットテープ音源を放送したのか、深い謎です。
で、なぜ4月26日に放送されているのに今ごろこのブログに記しているかというと、この「志の輔ラジオ落語deデート」という番組。毎週落語を放送してはいるものの新音源が出ることは稀なので、毎週キチンとチェックせず、ラジコで録音したものを時折2~3か月分まとめてざっと内容を確認していたのです。いや、チェックはやはり毎週しないといけませんね。反省します。
にしても、我々落語ファンが聴いても志ん生の晩年の録音は何を喋っているかはっきり聞き取れず痛々しい限りなのに、今回の放送のゲストだったシェイラさんというタレントさんは、おそらく落語の「ら」の字も知らないだろうに「これ」を聞かされる羽目になってしまいました。彼女と落語と距離をいっそう引き離してしまったのでは。
入手が極めて困難だった、志ん生の「一目上がり」を今回聴くことができたのは、落語音源を集めるファン・マニアにとっては万々歳でしたが、それ以外の一般の聴取者はどう感じたのか、気にかかるところです。
http://door2summer.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-dfcd.html
志ん生の市販音源については、保田武宏氏の著作の『志ん生全席落語事典』或いは当方サイト『落語はろー・データ編』ですべて網羅している(前者についてはクラウン発売の非正規音源を除く)のですが、私はこの「一目上がり」の音源だけは入手できずにいました。ユピテルというメーカーから1979年にカセットテープで発売されたこの音源。落語はろーをご覧の方のご協力をあおいでもどうしてもこの音だけは入手できなかったのです。それが今回この放送によって期せずして聞く機会を得られました。しかし、この番組。文化放送以外の他局音源に関しては容易に入手できる市販のCD音源を流すのが常なのに、どうして今回に関しては40年近く前に発売されたマイナー・メーカーのカセットテープ音源を放送したのか、深い謎です。
で、なぜ4月26日に放送されているのに今ごろこのブログに記しているかというと、この「志の輔ラジオ落語deデート」という番組。毎週落語を放送してはいるものの新音源が出ることは稀なので、毎週キチンとチェックせず、ラジコで録音したものを時折2~3か月分まとめてざっと内容を確認していたのです。いや、チェックはやはり毎週しないといけませんね。反省します。
にしても、我々落語ファンが聴いても志ん生の晩年の録音は何を喋っているかはっきり聞き取れず痛々しい限りなのに、今回の放送のゲストだったシェイラさんというタレントさんは、おそらく落語の「ら」の字も知らないだろうに「これ」を聞かされる羽目になってしまいました。彼女と落語と距離をいっそう引き離してしまったのでは。
入手が極めて困難だった、志ん生の「一目上がり」を今回聴くことができたのは、落語音源を集めるファン・マニアにとっては万々歳でしたが、それ以外の一般の聴取者はどう感じたのか、気にかかるところです。
本牧亭、上野を離れる ― 2015年05月30日 01:02
このブログでも何度か話題にしているよう、私は最近、講談を聴く機会が増え、ナマのものに限れば落語より講談を聴く回数が多くなっています。
さて、講談の定席といえば上野にあった「本牧亭」。本牧亭の名が最初に現れたのは1857(安政4)年だとのこと。そして上野鈴本演芸場のすぐそばの路地の左側にあった古い世代にはお馴染みの「本牧亭」が開かれたのは1948(昭和23)年。昭和25年より講談の定席となり、多くのファンに親しまれてきたものの、1990(平成2)年1月、惜しまれつつ閉場。下の画像は1960(昭和35)年の本牧亭付近の地図です。
その後も興行の形態を変えながら「本牧亭」の名は使われ続け、池之端、そして黒門町へと移っていきますが、2011(平成23)年、黒門町本牧亭は閉場。本牧亭は拠点となる場を失いました。
ですが「本牧亭」の名を守りたいという元のおかみさんの努力、そして熱心なファンに支えられ、「本牧亭」という名の付く講談の会が場所を借りながら行われてきます。場所は、元の本牧亭のすぐ向かいにある「とんかつ武蔵野」のいう店の2階。普段はパーティールームとして使われているスペースを毎月第2土曜と日曜、即席の高座を設え、「本牧亭講談会」として小規模ながらも会が開かれてきました。しかし、このとんかつ屋さんが改装をする事になり、この会も続けられなくなります。主催者は上野近辺で代わりの場所をいろいろ探しましたが見つけられず。結局、御茶ノ水に移転し、駅のすぐ近くの居酒屋のスペースを借りてこの会は継続することになります。こうして、「本牧亭」は長く親しんだ上野の地を離れることになりました。
人間国宝の一龍斎貞水先生の初高座もこの本牧亭でした。世の中には残るもの、消えるもの、いろいろありましょうが、残そうと努力なさっている方の姿をこれからも見つめ続けてゆきたいと思います。
↑上野・本牧亭のあった路地の現在
↑元の「本牧亭」があった場所の現在。
↑元の本牧亭のすぐ向かいにある「とんかつ武蔵野」。ここの2階を借りて、「本牧亭講談会」は開かれていた。
↑5月24日、上野での最後の「本牧亭講談会」が開かれた。
さて、講談の定席といえば上野にあった「本牧亭」。本牧亭の名が最初に現れたのは1857(安政4)年だとのこと。そして上野鈴本演芸場のすぐそばの路地の左側にあった古い世代にはお馴染みの「本牧亭」が開かれたのは1948(昭和23)年。昭和25年より講談の定席となり、多くのファンに親しまれてきたものの、1990(平成2)年1月、惜しまれつつ閉場。下の画像は1960(昭和35)年の本牧亭付近の地図です。
その後も興行の形態を変えながら「本牧亭」の名は使われ続け、池之端、そして黒門町へと移っていきますが、2011(平成23)年、黒門町本牧亭は閉場。本牧亭は拠点となる場を失いました。
ですが「本牧亭」の名を守りたいという元のおかみさんの努力、そして熱心なファンに支えられ、「本牧亭」という名の付く講談の会が場所を借りながら行われてきます。場所は、元の本牧亭のすぐ向かいにある「とんかつ武蔵野」のいう店の2階。普段はパーティールームとして使われているスペースを毎月第2土曜と日曜、即席の高座を設え、「本牧亭講談会」として小規模ながらも会が開かれてきました。しかし、このとんかつ屋さんが改装をする事になり、この会も続けられなくなります。主催者は上野近辺で代わりの場所をいろいろ探しましたが見つけられず。結局、御茶ノ水に移転し、駅のすぐ近くの居酒屋のスペースを借りてこの会は継続することになります。こうして、「本牧亭」は長く親しんだ上野の地を離れることになりました。
人間国宝の一龍斎貞水先生の初高座もこの本牧亭でした。世の中には残るもの、消えるもの、いろいろありましょうが、残そうと努力なさっている方の姿をこれからも見つめ続けてゆきたいと思います。
↑上野・本牧亭のあった路地の現在
↑元の「本牧亭」があった場所の現在。
↑元の本牧亭のすぐ向かいにある「とんかつ武蔵野」。ここの2階を借りて、「本牧亭講談会」は開かれていた。
↑5月24日、上野での最後の「本牧亭講談会」が開かれた。
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