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六代目春風亭柳橋の居宅跡を訪ねる2014年08月17日 03:26

 落語家の場合は「師匠」、講釈師の場合は「先生」と呼ぶのが習わしですが、なぜか六代目の春風亭柳橋という噺家は「先生」と呼ばれることを好みました。過去の落語家の音源が次々と発掘される中、先々代柳橋はあまり人気の無い噺家のように思えますが、私も実は権威ぶった所のあるこの方はあまり好きとは言えません。そういう人間のちょっとした虚勢をまた人間的魅力として捉えることが出来れば、私ももう少し人間の器が大きくなれるのでしょうが。
 さて、昨年年末の雀々師がレギュラーのBSのテレビ番組で昇太さんがゲスト出演していました。そのなかで「先ごろ柳橋先生の自宅が取り壊された。弟子や孫弟子たちは壊される直前に自宅に遺された物品を持ち帰ることになり、自分は日本刀を頂いた」昇太さんはこのような事を話されていました。柳橋先生が亡くなったのは1979(昭和54)年で、その後もしばらくは奥様がそこで生活していたのでしょうが、ごく最近まで自宅が残っていたとは初耳でした。そんなことがきっかけで柳橋先生がかつて住んでいた地を訪ねたくなりました。
 で、場所の特定の作業です。ネットでいろいろ検索してもその場所が分かりません。とりあえず桂右団治師匠のブログから、柳橋先生が亡くなった後、その自宅は「牛込亭」といって噺家が口演する場となっていたこと、またそれが神楽坂の辺りであったことまで分かりました。神楽坂近辺の「渡辺」さん(柳橋先生の本名は「渡辺金太郎」)。これだけではとても場所特定は出来ません。
 そこでいつもご厄介になるのは国会図書館。今回は初めて過去の「電話帳」から住所を調べてみることにします。付けまわすタイプのストーカーもこんな感じでターゲットになる人物の住所を探し出しているでしょうか。私にはストーカーになる素養(?)があるのかも。昭和53年の東京都23区の50音別電話帳を目を凝らして見ると「春風亭柳橋」の名があり、割合あっさりと場所は特定できました。住所は、新宿区「中里町」の某番地。確かに神楽坂駅の近くです。さらにおなじみ国会図書館の地図室で昭和53年の新宿区の住宅地図を閲覧します。その住所地番には「渡辺金太郎」と小さく書かれており、ついに場所を特定できました!(下画像をクリックすると大きな画像で見られます)

柳橋地図(S53)


 というわけで、昨日現地を訪問してみました。東西線の神楽坂駅から徒歩5分ほど。近辺に印刷会社や製本所が目立つのは新潮社や旺文社などの出版社のある神楽坂という土地柄でしょう。下写真でオレンジ色の屋根のあるのが、まさに柳橋先生の自宅のあった場所です。

柳橋自宅跡


 ここで疑問が。このオレンジ色の屋根の家はどうみても築10~15年は経っています。となると、テレビで昇太さんが言っていた「つい最近取り壊された」という話とソゴが生じるではないか。果たして、私の調査に不行き届きがあったのか、それとも昇太さんの話は視聴者向けに創作された話だったのか。それとも私にはあずかり知らぬ意外な真実が隠されているのか。今回の「聖地訪問」はそんなナゾとモヤモヤ感を残したまま終えたのでありました。