【落語はろー・データ編】公開中(ここをクリック)

古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。

 
【演芸とりどり掲示板】(http://koudanroom.bbs.fc2.com/)

 

八代目桂文楽の居宅跡を訪ねる2014年08月08日 12:05

 長らくブログ更新をさぼってしまって申し訳わけありません。私には15年間に渡る懸案、はっきり言って「戦い」がありまして、その問題がまた最近ぶり返しています。もちろん私には1ミリたりとも「非」となる所はありません。相手方の一方的な「妄執」に原因があります。私の主張が全面的に正しいと証明されるまでもう「一息」というところまでは来ているのですが、なかなか完全な解決までには至っておりません。

 野暮な話題は深く突っ込まない事にして、久々の更新は八代目桂文楽の自宅のあった場所についてです。落語ファンの方々ならご存知のよう、現在の落語協会の事務所の斜め向かいが先代文楽の居宅があった場所です。例によって国会図書館で昭和46年の住宅地図をコピーしてきました(下画像をクリックすると大きな画像が見られます)。

先代文楽居宅地図


 赤で囲んだ場所、「桂文楽・並河」と書かれていまして、ここが居宅のあった場所だと分かります。この地図で見ると結構な大きさがあったように見えますがこれは文字を押し込む都合上で、実際はこの半分ほど広さだったと思われます。先代文楽の居宅は建坪は9坪半ほどで庭もない木造2階建ての住居だったとか。現在は駐車場になっていまして、クルマ3台ほどが並ぶのがやっとの広さで、下写真を写したこの日も、シルバーのクルマの頭の部分がはみ出していました。道路幅がごく狭いので広角レンズを使わないと土地の全景は写せません。

先代文楽居宅跡


 上にアップした地図で、青で囲んだ2軒の民家ですがこれが現在の落語協会の事務所のあるところで、先代文楽の居宅跡の斜め向かいになります。これほど近くにあるのはもちろん偶然ではなく、五代目小さんが会長の時分にたまたまこの地が売りに出されていることを知り「思い出の文楽師匠の居宅の目と鼻の先の地ならここが良かろう」と決めたとか。下写真で、紺と緑の幟の立つ協会事務所、それから先シルバーのクルマの頭の部分がはみ出した、先代文楽居宅跡が分かると思います。

落語協会事務所


 さらに地図で緑色で囲んだ部分に「鈴木」さん宅があります。現在は落語協会の事務所の2軒左側に「鈴木ビル」という建物が建ちますが、これが五代目古今亭今輔の居宅跡で間違いないでしょう。



 地図の左上の方、ピンク色で囲んだ部分に「バーバー石井」という文字が見えますが、これが先代文楽が5日に一度は通っていたという理髪店。今も営業しており4階建てのビルとなりましたが、赤と白のストライプに彩られた外面はあまり趣味の良い物とは言えません。

バーバー石井


 最近では落語協会事務所2階で週末に「黒門亭」が開かれ、ここを訪れる落語ファンも増えました。ファンにとってはまさに「聖地」ですね。「黒門町」という通称とともに先代文楽の名を歴史にとどめる地として、この地はこれからも語り継がれてゆくことでしょう。

六代目春風亭柳橋の居宅跡を訪ねる2014年08月17日 03:26

 落語家の場合は「師匠」、講釈師の場合は「先生」と呼ぶのが習わしですが、なぜか六代目の春風亭柳橋という噺家は「先生」と呼ばれることを好みました。過去の落語家の音源が次々と発掘される中、先々代柳橋はあまり人気の無い噺家のように思えますが、私も実は権威ぶった所のあるこの方はあまり好きとは言えません。そういう人間のちょっとした虚勢をまた人間的魅力として捉えることが出来れば、私ももう少し人間の器が大きくなれるのでしょうが。
 さて、昨年年末の雀々師がレギュラーのBSのテレビ番組で昇太さんがゲスト出演していました。そのなかで「先ごろ柳橋先生の自宅が取り壊された。弟子や孫弟子たちは壊される直前に自宅に遺された物品を持ち帰ることになり、自分は日本刀を頂いた」昇太さんはこのような事を話されていました。柳橋先生が亡くなったのは1979(昭和54)年で、その後もしばらくは奥様がそこで生活していたのでしょうが、ごく最近まで自宅が残っていたとは初耳でした。そんなことがきっかけで柳橋先生がかつて住んでいた地を訪ねたくなりました。
 で、場所の特定の作業です。ネットでいろいろ検索してもその場所が分かりません。とりあえず桂右団治師匠のブログから、柳橋先生が亡くなった後、その自宅は「牛込亭」といって噺家が口演する場となっていたこと、またそれが神楽坂の辺りであったことまで分かりました。神楽坂近辺の「渡辺」さん(柳橋先生の本名は「渡辺金太郎」)。これだけではとても場所特定は出来ません。
 そこでいつもご厄介になるのは国会図書館。今回は初めて過去の「電話帳」から住所を調べてみることにします。付けまわすタイプのストーカーもこんな感じでターゲットになる人物の住所を探し出しているでしょうか。私にはストーカーになる素養(?)があるのかも。昭和53年の東京都23区の50音別電話帳を目を凝らして見ると「春風亭柳橋」の名があり、割合あっさりと場所は特定できました。住所は、新宿区「中里町」の某番地。確かに神楽坂駅の近くです。さらにおなじみ国会図書館の地図室で昭和53年の新宿区の住宅地図を閲覧します。その住所地番には「渡辺金太郎」と小さく書かれており、ついに場所を特定できました!(下画像をクリックすると大きな画像で見られます)

柳橋地図(S53)


 というわけで、昨日現地を訪問してみました。東西線の神楽坂駅から徒歩5分ほど。近辺に印刷会社や製本所が目立つのは新潮社や旺文社などの出版社のある神楽坂という土地柄でしょう。下写真でオレンジ色の屋根のあるのが、まさに柳橋先生の自宅のあった場所です。

柳橋自宅跡


 ここで疑問が。このオレンジ色の屋根の家はどうみても築10~15年は経っています。となると、テレビで昇太さんが言っていた「つい最近取り壊された」という話とソゴが生じるではないか。果たして、私の調査に不行き届きがあったのか、それとも昇太さんの話は視聴者向けに創作された話だったのか。それとも私にはあずかり知らぬ意外な真実が隠されているのか。今回の「聖地訪問」はそんなナゾとモヤモヤ感を残したまま終えたのでありました。