【落語はろー・データ編】公開中(ここをクリック)

古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。

 
【演芸とりどり掲示板】(http://koudanroom.bbs.fc2.com/)

 

鰍沢をゆく(その2)2014年02月16日 23:08

 前項の続きです。この度の大雪による山梨県などでの窮状はツイッターなどのネットメディアでリアルな声を聞くことができます。それに比して既存のメディアでの扱いの小さいこと。東京で大雨だの大雪だのあればすぐにトップでデカデカと伝えるのに、既存メディアの東京中心主義は相変わらずですね。
 で、鰍沢の話題の続きです。小室山で毒消しの護符をゲットし、しばらく寺を散策した後は、山合いの小さな門前町の坂道を下り徒歩10分程で法論石(ほうろんせき)へ。小室山は元々は真言の寺で、そこの住持であった善智法印(ぜんちほういん)と日蓮とが法論(というか念力合戦?)をしたといわれるのが法論石です。後にこの石の上にお堂が建てられ、懸腰寺(けんようじ)という寺となりました。
 さて訪れたこの寺ですが、小さなお堂に人気はありません。近所の方に聞くと今日は住職は外出しているので勝手に中へ入ってお参りしてくださいとのこと。犯罪などとは無縁の平和な集落です。中に入るとお堂の下方に確かに縦横1.5メートルほどの巨石がありこれが法論石なのでしょう。

日蓮・法論石


 ここから鰍沢の町の中心まで戻るのですが、約4キロの距離で道は下る一方。時間に余裕があるし何よりタクシー代を浮かしたかったので歩いてゆきます。鰍沢の町へ出、この北側に隣接するのが青柳の町。次の訪問地は青柳の昌福寺(しょうふくじ)です。小室山と縁の深い寺で、十二世上人の一道院日法が加持祈祷で時の天皇の病気を平癒させ「日本第一大験者」の号を送られたとのこと。町中の寺にも関わらず広い境内はひっそりとしており訪れる人もほとんどありません。


 今回訪れた寺が、かつては身延山へ参る人々が立ち寄る一般的なコースでした。目的地ばかりが信仰の場ではない。そこへたどり着くまでのさまざまな経験も信仰なのだ。結果を急ぎすぎる現代人にこれら寺々は何か語りかけているようです。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「落語」をひらがなで記入してください。「」は不要です。スパム対策のためご協力ください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mirach.asablo.jp/blog/2014/02/16/7224602/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。