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八代目桂文楽師の墓参り2013年12月13日 00:43

 日付が変わってしまいましたが、12月12日は八代目桂文楽師の命日でした。昨年の夏に三遊亭圓生師が亡くなった地である津田沼駅周辺を訪れて以来、過去の名人の「聖地巡礼」に私は目覚めてしまいました。今までに志ん朝師の墓所と矢来町の自宅、圓生師の柏木と中野坂上の居宅跡、三代目金馬師と三代目三木助師の居宅跡などと巡り、そして今度は八代目文楽の墓参りにゆくことにします。
 先代文楽の墓を訪れるのは初めてで、まず墓所がどこにあるのかを調べなければなりません。検索サイトで「桂文楽 墓」のキーワードで探したところ、なんと「墓のある所」の候補が3箇所にもなってしまいました。1箇所は台東区浅草の桃林寺、1箇所は谷中の観音寺、1箇所は世田谷区大蔵の妙法寺。浅草・桃林寺はおそらく間違いであることが分かります。というのは15年程前に日本テレビの「知ってるつもり」という番組で先代文楽の生涯を紹介する回がありまして、番組の中で「並河家の先祖代々の墓」としてこの桃林寺の墓の映像が流れました。しかし先代文楽は並河家の四男です。この墓に入ることは事情がない限り無いでしょう。また先代文楽師の愛弟子であった柳家小満ん師の著書にも「(文楽は)生前に墓を建てた」との記述があって、先祖代々の墓には入らなかった事が伺えます。次の谷中の観音寺はブログを記した方の勘違いで、別のサイトの記述でここにあるのは「四代目桂文楽」の墓であることがすぐに分かりました。そして世田谷区の妙法寺ですが、過去に訪れた方が写した写真がサイトに何枚か掲載されていますので、まずここで間違いないでしょう。
 「妙法寺」、堀の内のお祖師様でお馴染みの阿佐ヶ谷の寺も名は「妙法寺」です。ネットで調べましたが、阿佐ヶ谷の妙法寺、先代文楽の墓のある世田谷の妙法寺、同じ日蓮宗の寺というだけで特別な関連は無いようです。日蓮宗では寺名に「妙」の字が付く事が多いので自然同じ名になってしまったのでしょう。
 さて、世田谷区大蔵の妙法寺を訪ねたのは命日の前日である12月11日でした。日の暮れるのが早いこの時季。さっさと訪れないと暗くなってしまいます。東京某所での所用を途中で切りあげ、東急田園都市線に乗り用賀駅で下車。成城学園前行きのバスに乗って15分ほどで「東宝前」バス停で下車。目指す寺はバス停のすぐ前ですが、寺の山門はバス通りの裏側にあり細い道を少し歩きます。
 時刻は午後4時少し前。さて寺まで来たものの、先代文楽の墓が墓地のどこにあるかは分からない。寺務所に聞けばすぐに分かるでしょうが、私はこういう時に人に尋ねるのをためらってしまう性分です。本堂の裏側が墓地で、端から順々に「並河」の文字を探して歩き回りました。が、なかなか見つからずに歩き回ること15分ほど。あきらめる時を考え始めた時分に、先代文楽師の墓は見つかりました。(下写真をクリックすると大きな画像で見られます)

八代目桂文楽の墓01


 本堂側からみて一番左側の一番奥。墓地の角っこのすぐ近くに、「並河」の文字ではなく「八代目桂文楽」と刻まれた墓石がありました。明日が命日ということで早めに供えられた花が花立いっぱいになっています。墓石の右側の面には「いま更に あばらかべっそん 恥かしさ」の句が、左側の面には葬られている方の没年月日と戒名・俗名が四人分刻まれています。(下写真をクリックすると大きな画像で見られます)

八代目桂文楽の墓02


一番右が「俗名並河敏夫、昭和二十一年六月十日、行年十六才」。先代文楽師の養子です。深く愛したこの子は先の戦争が終わる直前に「お国のために役に立ちたい」と満州へ旅立ちそのまま消息不明となりました。二番目に刻まれているのは「俗名並河スエ、昭和四十四年一月二十四日」。スエ(寿江)さんは生涯に5度結婚した先代文楽師の4番目の妻で、女性関係に賑やかな夫を持ちながら、1925(大正14)年から亡くなるまで長きにわたり連れ添いました。右から3番目が先代文楽師で戒名は「桂春院文楽日義居士」。一番左に刻まれたのは5番目の妻で「俗名並河梅子、平成五年六月八日 行年八十一」とあります。小満ん師の著書によると先代文楽と梅子さんと出会いは、梅子さんが十九歳だった時。付いたり離れたりの関係を続けたのでしょうか。44年間連れ添った寿江さんが亡くなって間もなく二人は入籍します。そして梅子さんも亡くなり、4番目の妻である寿江さんと5番目の妻の梅子さんが同じ墓に同居する事になったのです。誰もを分け隔てせず誰からも好かれた先代文楽。墓に入ってなお、そんな姿を伺わせます。
 墓参りを終え寺を出て、小田急線成城学園前駅までは歩いて15分強。電車に乗って高架に差し掛かった頃には冬至も間近の初冬の日はすっかり暮れようとしていました。

コメント

_ snob ― 2013年12月13日 23:05

 ”聖地”巡礼からはすっかり遠ざかってしまってます。世田谷まで行かれたのなら、圓生のお墓もそんなに遠くではないのでは?いずれ自転車での遠征を考えていたりはします。

_ はろー ― 2013年12月14日 23:33

圓生の墓は京王線の沿線のようです。来年の9月3日に行くか、それとも五代目の命日に行くか思案中です。

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