古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 |
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志ん生居宅跡を訪ねる ― 2014年05月25日 19:04
昨日はとある落語会を2軒はしごしたのですが、少し早目に家を出て谷中の古今亭志ん生の居宅跡を訪ねることにしました。山手線に乗り日暮里駅で下車。駅の北側から千駄木駅に向かう道の中ほどにあるのが近年すっかり有名になってしまった谷中銀座で、志ん生の居宅跡はこの商店街から少し入った住宅街の中にあります。例によって事前に国会図書館の地図室で過去の住宅地図を調べ場所を特定しました。下の地図は昭和48年の谷中銀座付近です。(下写真をクリックすると大きな画像で見られます)
駅を出て西に3分ほど歩くと下り階段があり、ここから200mほどの長さの商店街が谷中銀座。昔ながらの風情の残る商店街としてテレビや雑誌でも頻繁に取り上げられ、今では休日には観光客で賑わいます。昔ながらの風情といえば30~40年ほど前にどこでも普通に見られた町の八百屋だの魚屋だの総菜屋だの雑貨屋だのが並ぶ町並みを期待しますが、昨今わんさと観光客の集まるようになってしまったこの谷中銀座はいつまで「何気ない日常の空間」を留めていられるのでしょうか。
まず訪ねるのは、商店街に差し掛かってすぐの左手にある「多満留」です。間口2間ほどのごく小さな小物屋で、店内に入ると志ん生の火焔太鼓の音が流れていました。ここでは志ん生、先代馬生、志ん朝の美濃部一家のグッズを販売しています。志ん生に似せた人形、志ん朝の絵柄の入った湯呑茶碗など興味はそそられるものの財布の札を減らす余裕はありません。かつての志ん生の自宅を訪ねにきた者ですと店主に挨拶して店を出ます。
「多満留」の少し先の右側に「浜松屋」という下駄や雪駄を売ってている店があり、この店の脇の狭い路地を入ります。この路地は区の境で左側が台東区谷中、右側は荒川区西日暮里となります。
100mほど歩き右に折れすぐのオレンジ色の屋根の2階建ての一軒家が志ん生の自宅のあった場所です。現在の表札の名はもちろん美濃部ではありません。門の脇のツツジの花は盛りを過ぎてやや色あせています。
この2軒先の向かい側が先代金原亭馬生の居宅跡でここも2階建ての住居となっています。志乃さんもここで育ち、目と鼻の先のおじいさんの家にも頻繁に通っていたのでしょう。
先の昭和48年の住宅地図を見ると、かつての志ん生宅の西側に「世界湯」という銭湯があったことが分かります。病後の志ん生が弟子に負ぶられ通ったのがこの銭湯だったのでしょう。
今回、志ん生のかつての居宅は簡単にわかりましたが、果たして本所業平橋のなめくじ長屋の場所は特定できるものだろうか、そんなことを考えながら千駄木の駅へと向かいました。
駅を出て西に3分ほど歩くと下り階段があり、ここから200mほどの長さの商店街が谷中銀座。昔ながらの風情の残る商店街としてテレビや雑誌でも頻繁に取り上げられ、今では休日には観光客で賑わいます。昔ながらの風情といえば30~40年ほど前にどこでも普通に見られた町の八百屋だの魚屋だの総菜屋だの雑貨屋だのが並ぶ町並みを期待しますが、昨今わんさと観光客の集まるようになってしまったこの谷中銀座はいつまで「何気ない日常の空間」を留めていられるのでしょうか。
まず訪ねるのは、商店街に差し掛かってすぐの左手にある「多満留」です。間口2間ほどのごく小さな小物屋で、店内に入ると志ん生の火焔太鼓の音が流れていました。ここでは志ん生、先代馬生、志ん朝の美濃部一家のグッズを販売しています。志ん生に似せた人形、志ん朝の絵柄の入った湯呑茶碗など興味はそそられるものの財布の札を減らす余裕はありません。かつての志ん生の自宅を訪ねにきた者ですと店主に挨拶して店を出ます。
「多満留」の少し先の右側に「浜松屋」という下駄や雪駄を売ってている店があり、この店の脇の狭い路地を入ります。この路地は区の境で左側が台東区谷中、右側は荒川区西日暮里となります。
100mほど歩き右に折れすぐのオレンジ色の屋根の2階建ての一軒家が志ん生の自宅のあった場所です。現在の表札の名はもちろん美濃部ではありません。門の脇のツツジの花は盛りを過ぎてやや色あせています。
この2軒先の向かい側が先代金原亭馬生の居宅跡でここも2階建ての住居となっています。志乃さんもここで育ち、目と鼻の先のおじいさんの家にも頻繁に通っていたのでしょう。
先の昭和48年の住宅地図を見ると、かつての志ん生宅の西側に「世界湯」という銭湯があったことが分かります。病後の志ん生が弟子に負ぶられ通ったのがこの銭湯だったのでしょう。
今回、志ん生のかつての居宅は簡単にわかりましたが、果たして本所業平橋のなめくじ長屋の場所は特定できるものだろうか、そんなことを考えながら千駄木の駅へと向かいました。
コメント
_ 納札小僧 ― 2014年05月25日 21:37
西日暮里駅から石段を下り、谷中銀座入り口の後藤の飴屋を右に折れ、200m程行ったところを、右に入った路地に曲がると、浮世絵の摺師で納札(千社札)の大家「関岡扇令」先生の仕事場があり、納札を摺って戴きに通いました。扇令師に「志ん生の家はすぐそこだよ」って教えていただいたときには驚きました。俺って今、志ん生のすぐそばにいるんだなって、妙に興奮して、扇令先生に近所でしか知らない、志ん生の逸話なんか聞かせていただいたりして。40年以上前の思い出です。美濃部家は今は代わりましたが、アタシの通った関岡扇令宅は今もそのままに、ご子息が「三世関岡扇令」として家業の江戸錦絵を、昔のままに拵えています。今にして思えば、志ん生の顔を拝みに行けばヨカッタナ。
_ はろー ― 2014年05月26日 00:07
志ん生が亡くなって既に四十年以上。志ん生も谷中が観光客でにぎわう町に
なるなんて思ってもみなかったでしょう。
休日の谷中銀座は昔ながらの風情を求めて多くの人々が行き交う一方、
突然増えた「よそ者」に戸惑いを覚える地元の方も少なくないそうです。
にぎわう谷中銀座も一歩路地を入れば、江戸の伝統を脈々と受け継いで
いる方々もいらっしゃるのですね。にぎやかな表通りだけでは分からない
懐の深さをこの町は持っているのだと思います。
なるなんて思ってもみなかったでしょう。
休日の谷中銀座は昔ながらの風情を求めて多くの人々が行き交う一方、
突然増えた「よそ者」に戸惑いを覚える地元の方も少なくないそうです。
にぎわう谷中銀座も一歩路地を入れば、江戸の伝統を脈々と受け継いで
いる方々もいらっしゃるのですね。にぎやかな表通りだけでは分からない
懐の深さをこの町は持っているのだと思います。
_ snob ― 2014年06月04日 15:06
遅コメ失礼します。
大半を東京で暮らすようになって、日常の作業が大きく狂ってます。
なめくじ長屋(跡)はすぐそばになるはずですが、探したことがありません。「そら行け!落語鑑定団」というHP(http://rakugo-tanteidan.jp/mission00201.html)で、古今亭志ん八の探訪記を読むことができます。
大半を東京で暮らすようになって、日常の作業が大きく狂ってます。
なめくじ長屋(跡)はすぐそばになるはずですが、探したことがありません。「そら行け!落語鑑定団」というHP(http://rakugo-tanteidan.jp/mission00201.html)で、古今亭志ん八の探訪記を読むことができます。
_ 藪井竹庵 ― 2014年06月05日 14:50
こんにちは。よくこんなお宝地図を見付けましたねぇ(^∇^)
当時の地図って、美濃部じゃなくて、志ん生とか馬生って高座名で書かれてたんですねぇ。世界湯の場所も判りますね。ありがとうございます(^∇^)
当時の地図って、美濃部じゃなくて、志ん生とか馬生って高座名で書かれてたんですねぇ。世界湯の場所も判りますね。ありがとうございます(^∇^)
_ はろー ― 2014年06月06日 07:21
>snobさん
情報ありがとうございます。なめくじ長屋の跡はかなり具体的なところまで
探し出せているのですね。
また国会図書館へ行って、昭和初期の本所業平橋の地図を調べたくなりました。
>藪先生
残念ながら世界湯も今は無いのですね。稲荷町の八代目正蔵の長屋近くの
銭湯は今でも営業しているそうです。タオル1本持って行ってみようかと
考えています(^_^)
情報ありがとうございます。なめくじ長屋の跡はかなり具体的なところまで
探し出せているのですね。
また国会図書館へ行って、昭和初期の本所業平橋の地図を調べたくなりました。
>藪先生
残念ながら世界湯も今は無いのですね。稲荷町の八代目正蔵の長屋近くの
銭湯は今でも営業しているそうです。タオル1本持って行ってみようかと
考えています(^_^)
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