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縁起の良い登場人物?2015年01月08日 08:53

 ブログ更新をさぼっているうちに松が明けてしまいました。今年も当ブログを宜しく願います。今年の(というか毎年そうだが)願いは、テレビ・ラジオで落語の番組、それも過去の名人の噺をじっくり聴かせてきれる番組が増えてくれる事でしょうか。何しろそのような番組は今ではTBS「ラジオ寄席」の「懐かしの名人」くらいで、このブログも名人の旧宅訪問や墓参りの記事で穴埋めしているというのが現状です。それらもいつかネタが切れるでしょうから、果たしてこのブログの行く先はどうなることやら。
 さて、昨日、永田町という世にも無粋な所へ行ってまいりまして、地下鉄駅構内で下記のポスターを見つけ思わず写真を撮ってしまいました(下の画像はクリックすると大きな画像で見られます)。

落語噺で縁起が良いとされる意外な登場人物


 「落語噺で縁起が良いとされる意外な登場人物とは?」。もちろんこのブログをご覧の方ならお分かりですね。

(1/10追記)
 答えは「泥棒」。「お客様の懐を盗り込む」、「お客様の心を盗んでいく」ということで、泥棒の噺は、落語界では縁起の良い噺とされます。
(追記終わり)

 上の写真、新宿末広亭で、高座にあがっているのは、昨年11月に二ツ目に昇進したばかりの、フラワー改め柳家花飛(かっとび)。正月ということで、ポスターを作成した方も縁起をかついで、昇進したての花飛さんを選んだのでしょうか。
 それでは今年一年良い年でありますように。

見逃してしまった!2015年01月12日 00:14

 落語に関するテレビ・ラジオの情報をなるべく細かく伝えようというのが、このブログ開設の趣旨ですが、そんな私が大ポカをやってしまいました。今夜(日付変わって昨日の)「大改造!!劇的 ビフォーアフター 立川談志 完結編」を見逃してしまいました。しかも2時間スペシャルだったとか。
 なぜ、気づいたかと言いますと、このブログのヒット数が今夜20時台から急上昇しているのです。当ブログへたどり着いた方の検索ワードが当方へ分かるようになっているのですが、それが、「談志」「墓」「リフォーム」などのワードである事が分かりました。去年11月に当ブログで、談志の墓参りを記事にしましたが、それが検索エンジンに反映されているようです。
 「東京かわら版」に載ってなかったからと油断してしまいました。私は特段の談志ファンではないとはいえ、ああ、新年早々、大きな「穴」をあけてしまったものだ。やはり放送の当日まで、ネットや新聞での細かいチェックは欠かせません。肝に銘じておきます。

(1/13 追記)
 このブログをご覧の方から連絡を頂きまして、当日放送分の映像を譲っていただける事になりました。ご協力ありがとうございます。

次回の「ラジオ寄席」は桂小南の特集2015年01月14日 00:15

 以下のTBS「ラジオ寄席」のページで次回の放送の予告がされています。

http://www.tbs.co.jp/radio/format/yose.html

 桂小南の特集で演目は「めがね泥」と「箒屋娘」。小南さんは1996年に亡くなっていますので、1980年代末から寄席に通うようになった私は生の高座に間に合っています。小南さんの味のある柔らかい語り口の高座は、風情ある新宿末広亭で聴くと一層引き立ち、思えばいい経験をしたものです。
 小南さんは持ちネタが多いことで有名でした。上方落語を演じますが、本場の上方でもめったに演じられないような珍しい噺も持ちネタの中に多くあります。「めがねどろ」と「箒屋娘」もそんな珍しい噺の内に入るでしょう。私は上方落語の現状についてはそれほどの情報を持ち合わせていないのですが、「箒屋娘」を今、上方で演じる方はいらっしゃるのでしょうか?
 東京の落語界で大きく活躍された小南さんですが、なぜか今CD音源は、数えられるほどしか発売されていません。貴重な小南さんの噺ですので、次回の放送はお聴き逃しのないよう。

本日の「ラジオ寄席」は桂小南の特集でした2015年01月18日 21:53

 本日の「ラジオ寄席」は桂小南の特集でした。「ラジオ寄席」は以前と較べてネット局が減ってしまったようですが、今では「ラジコ・プレミアム」を使えば月に400円弱で、日本中どこでもTBSなど「ラジオ寄席」を放送する局を聴取できるようになりました。放送されてない地域の方はどうされてますでしょうか。
 さて、今回の小南さんの特集。1席目は「めがね泥」。1980年の高座とアナウンスされタイムは19分21秒でした。2席目は「箒屋娘」。1977年の高座でタイムは25分10秒。小南さんについては細かいデータを持ち合わせていないので、これ以上の詳しいことは分かりません。
 放送でもアナウンスされたよう小南さんは上方落語を東京風に味付けした落語を演じました。本場の上方落語を愛好する方の中にはそんな小南さんを悪く言う方もいらっしゃるようですが、我々関東圏の人間からすれば、三遊亭百生や先代桂小文治のような、そのままの上方落語よりも聴きやすく、小南さんの柔らかい語り口と相まって、ゆったり楽しく聴くことができます。寄席で小南さんの落語を何度も聴くことができたのは、私の落語ファン人生の中でも大きな財産でした。
 そんな小南さんの音源は、CBSソニー(現在は「ソニー・ミュージック」)から約50席の噺を収めたレコード全集が過去に発売されていました。上野・本牧亭で録音された小南さんのライフワークとも言えるものです。また15年ほど前には、このレコード全集のうちから半分ほどの噺をセレクトしたCDセットが通販で販売されていました。いづれも今では入手は困難で、ネット・オークションでも出品されることは稀です。ソニー・ミュージックは過去の音源について、圓生・志ん朝などの売れ筋以外の発売には関心を示してくれない会社で、TBSラジオの音源などを集めた三代目金馬のレコード全集も未だCD化されないままです。小南さんのレコード全集については、是非、完全な形でCD化し、再発売して欲しいものです。

立川談志、政務次官辞任2015年01月21日 19:09

 先年、立川談志が亡くなった際、テレビのニュースやワイドショーでは大きくその死を取り上げ、エピソード満載の生涯をいろいろと振り返る映像が流れました。談志の人生の中でも最大の事件といえば、1971(昭和46)年の選挙で参議院議員に当選したこと、そして1975(昭和50)年12月には沖縄開発庁政務次官に就任したものの、「放言」問題を起こし、在任期間わずか36日で辞任した件でしょう。その「放言」がなされたのが、1976(昭和51)年1月20日。それから39年目になります。例によって私の「調べてみたい」という虫がうずき、国会図書館で当時の新聞をあたってみました。
 「沖縄海洋博」を覚えておられる方も多いでしょう。沖縄の本土復帰後、最大のイベントで、1976年1月18日で約半年間の開催期間を終え閉幕します。公務で沖縄を訪れた立川談志こと松岡克由沖縄開発庁政務次官は、20日昼の記者クラブで海洋博閉幕にあたっての会見に臨みます。しかし二日酔いで目は真っ赤、濃いサングラスをかけラッパズボンという派手な姿。酒の臭いをプンプンさせながら記者との受け答えをします。当然、記者は厳しい質問を投げかけますが、談志はとりとめのない自論を展開。しまいには追及した記者に「出てけ!」という始末。
 22日の参議院決算委員会でこの問題が取り上げられましたが、当の本人はこの委員会に出席せず、浅草演芸ホールとイイノホールに出演してしまいます。これがさらに問題を大きくし、長官である植木氏は「本人には厳重に注意した」と平謝り。談志の言によると、植木長官から「君が出席するとますます問題がこじれるから来なくていい」と言われたから出席しなかったとの事で、今度は談志が怒ってしまいした。
 この時の読売新聞・社会面が下記の画像です(クリックすると大きな画像で見られます)。見ると右上には「大久保清・死刑執行」の記事が。大久保清と立川談志の写真が同じ紙面に載る様はなんとも妙な取り合わせであります。また「公務と酒とどちらが大切なんですか」という記者の問いに対して「酒に決まってるだろ」と答えたとされますが、このやり取りはどの新聞の記事中にも見当たりませんでした。

談志次官・沖縄で二日酔いで記者会見


 当時は与野党伯仲で、参議院での与党自民党と野党との数の差はわずか数議席。談志はここに目をつけ、政務次官の職を辞任するとともに、自民党を離党すると言い出します。これに慌てたのが自民党で、懸命に慰留に努めますが結局談志は次官辞任、そして自民党を離党します。下画像は、談志が辞意を表明した26日の沖縄タイムス夕刊(クリックすると大きな画像で見られます)。

談志・沖縄開発庁政務次官辞意を表明


 「政務と芸能(寄席)が両立しなかった」と述べ、さらに「自民党は私を教え育てるという場ではなく、今回の問題でも誰一人アドバイスもなかった」と自民党への不信感を露わにします。談志自身の公務の席での言動が問題なのに、「政務と芸能」と問題を大きな部分へそらし、さらに自民党という組織の問題にすり替えてしまうところが、なんとも談志らしい所です。
 この一件は「しょせん沖縄開発庁なんてのは三流以下の省庁だ」「だから次官に何の素養も無いタレント議員をあてるのだ」と世間の人々を呆れさせました。ついでの話で、この次官の後任として山東昭子議員の名が自民党党内であがりましたが、さすがに続けてタレント議員はまずいだろうとこの話は立ち消えになったとか。
 「お騒がせ人間」というのがいつの世にもいるものです。「とんでもない奴だ」と言いながら、結構世間もそういう人間の行状を楽しんでいる節があり、それが古今の落語の題材になったりします。であるならば談志は「落語の話者」のみならず、その存在が「落語自身」だったとも言えるのでしょう。

明日の「ラジオ寄席」は十代目桂文治の特集2015年01月24日 22:28

 明日のTBS「ラジオ寄席」は十代目桂文治さんの特集です

http://www.tbs.co.jp/radio/format/yose.html

 先代文治さんが亡くなったのは、2004年1月31日でしたから、それに合わせての放送でしょうか。来年は十三回忌なのですね。早いものです。
 演目は「牛ほめ」と「お血脈」。「牛ほめ」は、2007年の1月にもこの番組でかかっています。当時はラジコなんという便利なものはありませんでしたので私の所持している音源も音質が良くありません。今回の放送ではデジタルのクリアな音で録音できるでしょう。ありふれた前座噺の方が、逆にCDあるいは放送で聴く機会は少ないかもしれません。先代文治さんですから、このような軽い噺でも手を抜いたりせず、キチっと演じてくれるものだと思います。
 「お血脈」は先代文治さんの十八番。現代風のギャグを盛り込むセンスにおいては先代文治さんは一流でした。このような地噺で頂点を極めた師匠ですから楽しませてもらえるものと思います。楽しみに放送を待ちましょう。

本日のラジオ寄席は十代目桂文治の特集でした2015年01月25日 23:51

 本日の「ラジオ寄席」は十代目桂文治師の特集でした。
 1席目は「牛ほめ」。1984年の高座でタイムは16分34秒。2007年1月28日にこの「ラジオ寄席」で放送された音源と同じです。ただし今回はラジコでクリアな音で録音できました。
 2席目は「お血脈」。1986年に収録された音源とアナウンスされました。タイムは27分56秒。もう先代文治さんが亡くなってから11年にもなりますが、古典落語を現代流のギャクで埋め尽くすセンスは今でも全く古びていません。本領発揮というところでしょう。
 落語ファンという生き物は、大ネタであればあるほど有難がるという習性が得てしてありますが、先代文治さんのように、寄席でふだん演じるような中ネタから小ネタを中心に聴かせるような存在もまた嬉しいものです。「鼻欲しい」なんという珍品も持ちネタにし、寄席でたまに掛けていました。放送でも聴きたいところですが、現代のご時世ではいろいろと問題のある噺ですので難しいでしょうね。

 なお、NHK「ラジオ深夜便」では28日(27日深夜)と29日(28日深夜)に「深夜便落語百選」が放送されます。こちらもお聴き逃しのないよう。
1月28日・午前1時台
「雑俳」春風亭鹿の子
「味噌豆」(再)林家三平
1月29日・午前1時台
「両国八景」雷門小助六
「七草」(再)三遊亭金馬

DVD「落語研究会 特選名演集」4月に発売2015年01月26日 20:49

 落語研究会のDVD全集は、昨年11月に桂米朝師の全集が発売され、これで一通り出揃ったかなと思っていたのですが、今年4月にまた新たな落語研究会のDVD集が発売されることが分かりました。届いたばかりの「東京かわら版・2月号」に広告が掲載されています。
 DVDは6枚組で22,800円+税。発売は4月1日の予定。で、肝心のラインナップですが、今までの演者別の全集とは違い、複数の演者の口演が収録されています。

(1)首提灯/圓生、百川/十代目馬生
(2)猫の災難・笠碁・長短/五代目小さん
(3)味噌蔵・長屋の花見・ふたなり/四代目圓遊
(4)蛙茶番・粗忽の釘/五代目柳朝、二十四孝/十代目文治
(5)土橋万歳/小南、居酒屋/文朝、皿屋敷/圓弥
(6)二番煎じ/六代目小勝、都都逸漫談/三亀松
 ねずみの小噺・口上/志ん生、圓生

 私が切望していた四代目圓遊師の映像が見られるようになるとは嬉しいことです。また、圓生の「首提灯」は、すでにスタジオ録画の映像が全集に収録されていますが、今回収録されるのは、1968年の落語研究会での映像だと考えて間違いはないでしょう。
 TBSの落語研究会の映像に関しては、DVD発売されている以外の映像はもうそれほどの残ってないのではないでしょうか。というのは、圓生「首提灯」、四代目圓遊「ふたなり」、「蛙茶番」「粗忽の釘」五代目柳朝など、1987~1988年にかけて放送されたTBSテレビ「おはよう名人会」での映像が多く含まれており、このことから推測するに、TBSのVTR収蔵庫にはDVD化されていない映像のストックはもうそれほど無いと思うのです。
 今回のDVD集は、「全集」にするほど数が残されてなかった演者の映像や、DVD1枚に2~3席収録する都合上、全集から漏れてしまった映像を「落穂ひろい」的に寄せ集めたものと言えるのではないでしょうか。とは言え、このようなDVD集をTBS、そしてソニー・ミュージックが発売するのは、ホール落語の最高峰と言って良い「落語研究会」の映像を少しでも多く見たい、収集したいという熱烈なファンの声に応えたからだと思います。「残り物」の寄せ集めという以上の値打ちのある、十分購入する価値のある商品であるといえましょう。
 これが出るからには、今度は六代目笑福亭松鶴、当代桂春団治など、上方落語の演者の映像を集めたDVD集も発売されるのでしょうか。
 あるいはまた、映像は残ってなくとも音声のみは現存しているという作品も多いと思われます。例えばこれを年代別、または演者別の「コンプリート盤」としてCD集を発売すれば結構需要はあるように思うのですが、どうでしょう。

林家彦六(八代目林家正蔵)の墓参りにゆく2015年01月28日 19:06

 落語ファンとしては「林家彦六」というよりも「八代目林家正蔵」と記すべきなのでしょう。最晩年に「彦六」と名乗っていたのは1年ほど。落語の名手として名高かったのは正蔵の時期であり、落語の客観的データを集める立場からはやはり「八代目林家正蔵」とするべきなのでしょうが、私の個人的な思い入れから、ここは「彦六」さんとさせていただきます。いろいろ意見がありましょうが、まぁここは個人のブログですから。
 昭和55(1980)年9月に林家三平が死去し、八代目正蔵がその名跡を海老名家に返上したのは多きなニュースになりました。私は当時中学2年生で、落語の事はからっきし分かりませんでしたが、三平という人気者が死去し、そして突然テレビのニュースやワイドショーなどに出現したこの正蔵なるお爺さんの事は記憶にあります。声が震える様がなんとも可笑しいこのお爺さんは時の人となり、メディアの人気者になりました。私は当時、ビートたけしの熱烈なファンで、そのたけしも深夜のラジオ番組で彦六さんの真似をしていたのにはインパクトがありました。
 その彦六さんが亡くなったのは昭和57(1982)年1月29日。中学3年だった私はこの時の事も良く覚えています。落語というものを全く知らない私でしたが、当時一番仲の良かった友達がなぜか演芸にひじょうに詳しい奴で、訃報に接し「彦六さんが死んじゃった」と嘆くのです。そんな彼を私はからかって喜んでいました。今考えれば随分と不謹慎な事をしたものです。
 そして、明日は亡くなってから33年目。昨年が三十三回忌で、一般に三十三回忌を最後の法要とすることも多く、これを「弔いあげ」というそうです。もっとも彦六さんのように名のある故人はこれからも多くの方々よって命日の供養はなされるでしょう。
 さて、彦六さんの墓はどこにあるのか。ネットでいろいろ検索してもまったく引っかかりません。wikipediaにも載っていない。なるほど師匠は死後に遺体を献体したので墓もないのか、とも思いましたがこれは私の無知で、献体組織のサイトを見ると、多くの場合献体後1~3年で火葬され、お骨となって遺族の元へ戻ってくるそうです。そこで思い出したのですが、私は確かに彦六さんのお弟子さんが師匠の墓参りをする姿を見たことがある! 「そうだ、映像だ」と思い出した。2004年にスカパーの歌舞伎チャンネルで、「八代目林家正蔵 正本芝居噺の世界」という番組(全12回)が放送されました。ファンの間では有名でもなかなか見る機会がなかった、昭和45(1970)年の岩波ホールでの芝居噺記録映像を流す番組です。本編が始まる前、この番組の解説役だった八光亭春輔師が彦六さんの墓参りをしている場面がたしかあった。そして、録画しておいたDVDを見るとありました。春輔師が墓前に花を供えてるシーン。寺の名は池袋の「盛泰寺(じょうたいじ)」と紹介されました。(下の画像をクリックすると大きな画像で見られます)

八光亭春輔師・彦六の墓前に


 ということで墓参りです。盛泰寺は池袋駅の東口から歩いて10分ほど。墓地などという非日常のものが建つにはもったいない、随分といい場所に立地するものです。下町で簡素な長屋住まいを長らくした彦六さんのイメージと、高層ビルとか猥雑な地を思い起こす池袋のイメージとはどうも合致しません。そんな都心の寺「盛泰寺」はやはり昔の風情を感じさせない、コンクリート製の堂々とした建物でした。

豊島区池袋・盛泰寺(1)


豊島区池袋・盛泰寺(2)


 門をくぐると、温泉浴場のフロントのようなものがあり、女性の方が応対してくれます。
 「八代目林家正蔵という方のお墓がこちらにあると伺ったのですが」「はい、ございますよ」「お墓参りをしたいのですが」「はい、どうぞ。お墓の場所はお分かりになりますか」ということで、墓の場所をうかがって、墓にお参りに。整然と区画された如何にも現代的な墓地で、目指す墓の場所はすぐに分かりました。現代の人の墓には珍しく、五輪塔の墓です。まだ墓石は新しく、彦六さんの納骨の際に造られた墓だと思われます。(下の画像をクリックすると大きな画像で見られます)

八代目林家正蔵(彦六)の墓


 現在、彦六さんの弟子、孫弟子、そしてひ孫弟子まで数多くいますが、人気者や実力派も多く、「柳家」一門ほどではないものの、死後の一門は人材面で恵まれていると言えましょう。また、彦六さんを通じて後世に伝わった噺も多く、すでに三十三回忌を過ぎても明日は多くの噺家が墓参に訪れることでしょう。
 最大の謎。なぜ、五輪塔の形式の墓なのか。寺の方に聞きそびれてしまいました。ご存知の方がいらっしゃいましたら是非教えて頂きたいと思います。

明日のラジオ寄席は春風亭柳昇の特集2015年01月31日 20:48

 明日のTBS「ラジオ寄席」ですが、春風亭柳昇の特集だとの予告が以下のページでなされています。

http://www.tbs.co.jp/radio/format/yose.html

 演目「雑俳」と「カラオケ病院」。両方とも柳昇師お馴染みのネタですが、特に後者は存命中にも寄席でもテレビ・ラジオでもよく掛けていました。
 柳昇師が亡くなった後も、代表作として良くオンエアされており、昨年の2月2日にも1994年に収録された「カラオケ病院」がこのラジオ寄席で放送されています。一般の人たちにも受けやすい演目というとどうしても偏ってしまうのでしょうか。今回は何年に収録された音源が流れるのか。マニアとしてはその辺も関心のあるところです。