【落語はろー・データ編】公開中(ここをクリック)

古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。

 
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22日のTBS「ラジオ寄席」は三遊亭圓生の特集2013年12月17日 03:53

 次回、22日の日曜日のTBS「ラジオ寄席」は三遊亭圓生の特集だとの旨が、以下のページで告知されています。

http://www.tbs.co.jp/radio/format/yose.html

 演目は「無精床」と「掛取万歳」とのこと。圓生はTBSと専属契約を結んでいだ昭和28年から43年までの間、毎年のように年末には「掛取万歳」をTBSで掛けていました。いつの音源が今回放送されるのか興味深いところです。
 さらに29日の放送は五代目小さんの特集だそうで「懐かしの名人芸」が続きます。この調子で年末年始にはこの番組の特番を放送してもらえれば嬉しいのですが実現するでしょうか。

 なお、「落語はろー・データ編」中の先代文楽「富久」テイク11で記されたタイムは誤りで、小学館から発売されているCDのタイムは26分3秒です(次回の更新で修正します)。先の日曜の「ラジオ寄席」で放送された「富久」のカットは時間にして35秒分で4ヶ所あることを確認しました。情報を下さった方、有り難うございました。

吉野孝・千葉県習志野市元市長死去2013年12月17日 22:17

 数日前、我が家で購読している新聞の地方面の下の方に小さな訃報記事が載りました。亡くなったのは元・習志野市長の吉野孝氏。12月12日に心筋梗塞で死去。享年87歳。市長としての在任期間は1967(昭和42)年から1983(昭和58)年までの4期16年間。革新系の市長で、在任中の高度経済成長期には都心まで電車で30分あまりのこの地はベッドタウンとして飛躍的に発展しました。
 このブログで何故、一地方都市の元市長の訃報を記すのか。「習志野」と聞いてピンとくる落語ファンもいらっしゃるでしょうが、六代目三遊亭圓生が最後の高座をつとめ、そして急逝したのがここ習志野。圓生が亡くなった1979(昭和54)年にこの習志野で市長を務めていたのが吉野氏でした。
 吉野氏は習志野でも随一の名家の生まれで、父親も市の前身の津田沼町の町長でした。大正の時代には軍の演習で習志野に来訪した秩父宮がこの吉野の家に宿泊したこともあったそうです。
 吉野氏が市長だったもと、総武線津田沼駅の南側に1978(昭和53)年に建設されたのが「サンペデック」(現・モリシア)という巨大な複合商業施設で、大型スーパー・文化ホール・レストランなどが建ち並びます。
 圓生が最期に高座をつとめたのが、レストランの入る棟の最上階(11階)にある結婚式場で執り行われた「習志野圓生後援会」の発足式でした。wikipediaなどあちこちで「圓生の最後の口演は習志野文化ホールでなされた」と記述されていますが、「文化ホール」はレストラン棟の隣に建つ別物の施設で、これは明らかに誤りです。
 吉野氏はクラシック音楽をはじめとして芸術・芸能に理解が深い人で、程度は分かりませんが圓生とも交わりがあったようです。また自分も建設に尽力して出来たばかりのこの立派な施設に落語家として日本最高の名人を呼ぼうと考えたのかも知れません。市長自ら「習志野圓生後援会」の会長に就任し、その会の発足式で、すでに身体の不調を訴えていた圓生は小噺「桜鯛」を短く演じ、そして心臓発作で倒れ、搬送先の近くの病院で最期を迎えたのです。
 会の発足式そして病院にも居合わせた吉野元市長は、その時の模様を著書「甦る断想」に記しています。著作権の問題とかあるでしょうが、一地方都市の元市長の無名の著作物の複製について、一日に数人または十数人しか見ないような零細なブログでうるさく言う人もいないでしょう。単行本で3ページの量ですので、以下のリンク先に圓生の死に関する部分のテキストを掲載しておきます。

http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/rakugodata/zz_yoshino.htm