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古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 |
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千葉テレビ「浅草お茶の間寄席」放送500回 ― 2013年12月09日 00:17
「落語はろー」中では全く取り上げた事はありませんが、千葉テレビに「浅草お茶の間寄席」という番組があります。名の通り浅草演芸ホールでの落語・漫才などの高座の模様を収録したものをそのまま放送するという内容で、2004年4月に放送が始まり、今日12月8日の放送でめでたく第500回を迎えました。私は第2回の放送から視聴しており、しばらく家を離れる期間があったりして中断もありましたがほぼ毎週チェックしています。
私のホームページで取り上げているのは、志ん生だの文楽だの圓生だの志ん朝だの名人・上手ばかりで、ひょっとしたら「はずれ」も多い寄席の演芸には興味がないのではと思われてしまうかもしれません。しかしそんな事はなく寄席のゆるい空間も大好きで、二十数年前、大学生の頃は毎週のように新宿や上野の寄席に通ったものです。この浅草お茶の間寄席についても、聴く際に一瞬たりとも気の抜けない名人の噺とは違い、パソコンに向かって作業をしたりしている時に録画した番組をBGMかわりに聞いていたりします。ラジオを流しながら机に向かっていた学生時代の「ながら勉強」みたいですね。
寄席で収録する番組は制作費が安上がりですし(だからこの番組も10年近くも続いているのでしょう)、なにより今の時代はテレビの視聴者層は高齢者が多い(ちなみにこの番組のスポンサーは葬儀屋である!)。もっともっとこんな番組が増えても良いと思います。
今回の番組の最後で500回記念のプレゼントの告知がありました。浅草演芸ホールの招待券を3組6名様にプレゼント。ちょっとせこくありませんか?
私のホームページで取り上げているのは、志ん生だの文楽だの圓生だの志ん朝だの名人・上手ばかりで、ひょっとしたら「はずれ」も多い寄席の演芸には興味がないのではと思われてしまうかもしれません。しかしそんな事はなく寄席のゆるい空間も大好きで、二十数年前、大学生の頃は毎週のように新宿や上野の寄席に通ったものです。この浅草お茶の間寄席についても、聴く際に一瞬たりとも気の抜けない名人の噺とは違い、パソコンに向かって作業をしたりしている時に録画した番組をBGMかわりに聞いていたりします。ラジオを流しながら机に向かっていた学生時代の「ながら勉強」みたいですね。
寄席で収録する番組は制作費が安上がりですし(だからこの番組も10年近くも続いているのでしょう)、なにより今の時代はテレビの視聴者層は高齢者が多い(ちなみにこの番組のスポンサーは葬儀屋である!)。もっともっとこんな番組が増えても良いと思います。
今回の番組の最後で500回記念のプレゼントの告知がありました。浅草演芸ホールの招待券を3組6名様にプレゼント。ちょっとせこくありませんか?
次回15日のTBS「ラジオ寄席」は八代目桂文楽特集 ― 2013年12月10日 22:05
次回、15日の日曜日のTBS「ラジオ寄席」の内容が以下のページで告知されています。
http://www.tbs.co.jp/radio/format/yose.html
過去の名人の音源を追い求める我々としては嬉しい、八代目桂文楽の特集で演目は「夢の酒」と「富久」。あさって12日が先代文楽師の命日ですからそれに合わせての放送でしょうか。TBSには文楽師の音源はふんだんに残されているはずですから、出来ることならCD化されていない音源を、それも私の所持していない音源を、さらに可能ならノーカットで放送して欲しいものです。注文が多すぎるでしょうか?
放送を聴取できる皆さんは期待して待ちましょう。
http://www.tbs.co.jp/radio/format/yose.html
過去の名人の音源を追い求める我々としては嬉しい、八代目桂文楽の特集で演目は「夢の酒」と「富久」。あさって12日が先代文楽師の命日ですからそれに合わせての放送でしょうか。TBSには文楽師の音源はふんだんに残されているはずですから、出来ることならCD化されていない音源を、それも私の所持していない音源を、さらに可能ならノーカットで放送して欲しいものです。注文が多すぎるでしょうか?
放送を聴取できる皆さんは期待して待ちましょう。
DVD「落語研究会・柳家小三治大全(下巻)」発売 ― 2013年12月12日 05:33
12月10日はボーナスの支給日だった所も多かったでしょう。それに合わせるように昨日11日、小三治師のDVD大全下巻・10巻組が発売されました。定価は税抜きで3万8千円。やはりボーナス時でないとなかなか手の出ない価格です。全10巻20席のうち、1980年代に収録されたもの2席、1990年代が5席、残り13席は2000年以降の収録と、比較的最近の映像が中心になっています。ほとんどの映像は地上波またはBSでテレビ放送されていますが、第3巻の「金明竹」のみは放送された記録はなく初出の映像です。
ホール落語である落語研究会の高座は長らく地上波TBSテレビで放送されてきて1999年9月で放送は終了。変わって当時のBS9chのアナログハイビジョン試験放送で放送されるようになりました。この放送を見るのにはチューナーの他にデコーダーが必要でしかも機器は高価であり、ほとんど視聴していた人はいなかったと思われます。私はネットで知り合った落語映像の収集仲間から録画したものを譲ってもらいました。
結局アナログハイビジョンでの落語特選会は1年で終了。2001年12月よりBSデジタル放送が開始され、「BS落語研究会」とリニューアルした番組が2001年1月から始まります。今でこそ当たり前のように見られるBSデジタル放送も、当時は視聴するためには専用のチューナーが必要で10万円ほどしました。私はこの番組を第1回から視聴していますが、月1回の落語の放送のための10万円は痛い出費でした。
今回発売されたDVD全集にはその「BS落語研究会」の第2回目で放送された「山崎屋」から収録されています。当時はまだBSデジタルを視聴していなかった方も多いのでしょうが、こうやって(金さえだせば)簡単に過去の映像が見られるようになったのは有り難いことです。落語のようなマイナーなコンテンツで視聴率も期待できない場合、DVDソフトの売り上げは番組継続のための重要な要素になります。確かに高価ではありますが、事情が許せばご購入を検討してみたらいかがでしょうか。
ホール落語である落語研究会の高座は長らく地上波TBSテレビで放送されてきて1999年9月で放送は終了。変わって当時のBS9chのアナログハイビジョン試験放送で放送されるようになりました。この放送を見るのにはチューナーの他にデコーダーが必要でしかも機器は高価であり、ほとんど視聴していた人はいなかったと思われます。私はネットで知り合った落語映像の収集仲間から録画したものを譲ってもらいました。
結局アナログハイビジョンでの落語特選会は1年で終了。2001年12月よりBSデジタル放送が開始され、「BS落語研究会」とリニューアルした番組が2001年1月から始まります。今でこそ当たり前のように見られるBSデジタル放送も、当時は視聴するためには専用のチューナーが必要で10万円ほどしました。私はこの番組を第1回から視聴していますが、月1回の落語の放送のための10万円は痛い出費でした。
今回発売されたDVD全集にはその「BS落語研究会」の第2回目で放送された「山崎屋」から収録されています。当時はまだBSデジタルを視聴していなかった方も多いのでしょうが、こうやって(金さえだせば)簡単に過去の映像が見られるようになったのは有り難いことです。落語のようなマイナーなコンテンツで視聴率も期待できない場合、DVDソフトの売り上げは番組継続のための重要な要素になります。確かに高価ではありますが、事情が許せばご購入を検討してみたらいかがでしょうか。
八代目桂文楽師の墓参り ― 2013年12月13日 00:43
日付が変わってしまいましたが、12月12日は八代目桂文楽師の命日でした。昨年の夏に三遊亭圓生師が亡くなった地である津田沼駅周辺を訪れて以来、過去の名人の「聖地巡礼」に私は目覚めてしまいました。今までに志ん朝師の墓所と矢来町の自宅、圓生師の柏木と中野坂上の居宅跡、三代目金馬師と三代目三木助師の居宅跡などと巡り、そして今度は八代目文楽の墓参りにゆくことにします。
先代文楽の墓を訪れるのは初めてで、まず墓所がどこにあるのかを調べなければなりません。検索サイトで「桂文楽 墓」のキーワードで探したところ、なんと「墓のある所」の候補が3箇所にもなってしまいました。1箇所は台東区浅草の桃林寺、1箇所は谷中の観音寺、1箇所は世田谷区大蔵の妙法寺。浅草・桃林寺はおそらく間違いであることが分かります。というのは15年程前に日本テレビの「知ってるつもり」という番組で先代文楽の生涯を紹介する回がありまして、番組の中で「並河家の先祖代々の墓」としてこの桃林寺の墓の映像が流れました。しかし先代文楽は並河家の四男です。この墓に入ることは事情がない限り無いでしょう。また先代文楽師の愛弟子であった柳家小満ん師の著書にも「(文楽は)生前に墓を建てた」との記述があって、先祖代々の墓には入らなかった事が伺えます。次の谷中の観音寺はブログを記した方の勘違いで、別のサイトの記述でここにあるのは「四代目桂文楽」の墓であることがすぐに分かりました。そして世田谷区の妙法寺ですが、過去に訪れた方が写した写真がサイトに何枚か掲載されていますので、まずここで間違いないでしょう。
「妙法寺」、堀の内のお祖師様でお馴染みの阿佐ヶ谷の寺も名は「妙法寺」です。ネットで調べましたが、阿佐ヶ谷の妙法寺、先代文楽の墓のある世田谷の妙法寺、同じ日蓮宗の寺というだけで特別な関連は無いようです。日蓮宗では寺名に「妙」の字が付く事が多いので自然同じ名になってしまったのでしょう。
さて、世田谷区大蔵の妙法寺を訪ねたのは命日の前日である12月11日でした。日の暮れるのが早いこの時季。さっさと訪れないと暗くなってしまいます。東京某所での所用を途中で切りあげ、東急田園都市線に乗り用賀駅で下車。成城学園前行きのバスに乗って15分ほどで「東宝前」バス停で下車。目指す寺はバス停のすぐ前ですが、寺の山門はバス通りの裏側にあり細い道を少し歩きます。
時刻は午後4時少し前。さて寺まで来たものの、先代文楽の墓が墓地のどこにあるかは分からない。寺務所に聞けばすぐに分かるでしょうが、私はこういう時に人に尋ねるのをためらってしまう性分です。本堂の裏側が墓地で、端から順々に「並河」の文字を探して歩き回りました。が、なかなか見つからずに歩き回ること15分ほど。あきらめる時を考え始めた時分に、先代文楽師の墓は見つかりました。(下写真をクリックすると大きな画像で見られます)
本堂側からみて一番左側の一番奥。墓地の角っこのすぐ近くに、「並河」の文字ではなく「八代目桂文楽」と刻まれた墓石がありました。明日が命日ということで早めに供えられた花が花立いっぱいになっています。墓石の右側の面には「いま更に あばらかべっそん 恥かしさ」の句が、左側の面には葬られている方の没年月日と戒名・俗名が四人分刻まれています。(下写真をクリックすると大きな画像で見られます)
一番右が「俗名並河敏夫、昭和二十一年六月十日、行年十六才」。先代文楽師の養子です。深く愛したこの子は先の戦争が終わる直前に「お国のために役に立ちたい」と満州へ旅立ちそのまま消息不明となりました。二番目に刻まれているのは「俗名並河スエ、昭和四十四年一月二十四日」。スエ(寿江)さんは生涯に5度結婚した先代文楽師の4番目の妻で、女性関係に賑やかな夫を持ちながら、1925(大正14)年から亡くなるまで長きにわたり連れ添いました。右から3番目が先代文楽師で戒名は「桂春院文楽日義居士」。一番左に刻まれたのは5番目の妻で「俗名並河梅子、平成五年六月八日 行年八十一」とあります。小満ん師の著書によると先代文楽と梅子さんと出会いは、梅子さんが十九歳だった時。付いたり離れたりの関係を続けたのでしょうか。44年間連れ添った寿江さんが亡くなって間もなく二人は入籍します。そして梅子さんも亡くなり、4番目の妻である寿江さんと5番目の妻の梅子さんが同じ墓に同居する事になったのです。誰もを分け隔てせず誰からも好かれた先代文楽。墓に入ってなお、そんな姿を伺わせます。
墓参りを終え寺を出て、小田急線成城学園前駅までは歩いて15分強。電車に乗って高架に差し掛かった頃には冬至も間近の初冬の日はすっかり暮れようとしていました。
先代文楽の墓を訪れるのは初めてで、まず墓所がどこにあるのかを調べなければなりません。検索サイトで「桂文楽 墓」のキーワードで探したところ、なんと「墓のある所」の候補が3箇所にもなってしまいました。1箇所は台東区浅草の桃林寺、1箇所は谷中の観音寺、1箇所は世田谷区大蔵の妙法寺。浅草・桃林寺はおそらく間違いであることが分かります。というのは15年程前に日本テレビの「知ってるつもり」という番組で先代文楽の生涯を紹介する回がありまして、番組の中で「並河家の先祖代々の墓」としてこの桃林寺の墓の映像が流れました。しかし先代文楽は並河家の四男です。この墓に入ることは事情がない限り無いでしょう。また先代文楽師の愛弟子であった柳家小満ん師の著書にも「(文楽は)生前に墓を建てた」との記述があって、先祖代々の墓には入らなかった事が伺えます。次の谷中の観音寺はブログを記した方の勘違いで、別のサイトの記述でここにあるのは「四代目桂文楽」の墓であることがすぐに分かりました。そして世田谷区の妙法寺ですが、過去に訪れた方が写した写真がサイトに何枚か掲載されていますので、まずここで間違いないでしょう。
「妙法寺」、堀の内のお祖師様でお馴染みの阿佐ヶ谷の寺も名は「妙法寺」です。ネットで調べましたが、阿佐ヶ谷の妙法寺、先代文楽の墓のある世田谷の妙法寺、同じ日蓮宗の寺というだけで特別な関連は無いようです。日蓮宗では寺名に「妙」の字が付く事が多いので自然同じ名になってしまったのでしょう。
さて、世田谷区大蔵の妙法寺を訪ねたのは命日の前日である12月11日でした。日の暮れるのが早いこの時季。さっさと訪れないと暗くなってしまいます。東京某所での所用を途中で切りあげ、東急田園都市線に乗り用賀駅で下車。成城学園前行きのバスに乗って15分ほどで「東宝前」バス停で下車。目指す寺はバス停のすぐ前ですが、寺の山門はバス通りの裏側にあり細い道を少し歩きます。
時刻は午後4時少し前。さて寺まで来たものの、先代文楽の墓が墓地のどこにあるかは分からない。寺務所に聞けばすぐに分かるでしょうが、私はこういう時に人に尋ねるのをためらってしまう性分です。本堂の裏側が墓地で、端から順々に「並河」の文字を探して歩き回りました。が、なかなか見つからずに歩き回ること15分ほど。あきらめる時を考え始めた時分に、先代文楽師の墓は見つかりました。(下写真をクリックすると大きな画像で見られます)
本堂側からみて一番左側の一番奥。墓地の角っこのすぐ近くに、「並河」の文字ではなく「八代目桂文楽」と刻まれた墓石がありました。明日が命日ということで早めに供えられた花が花立いっぱいになっています。墓石の右側の面には「いま更に あばらかべっそん 恥かしさ」の句が、左側の面には葬られている方の没年月日と戒名・俗名が四人分刻まれています。(下写真をクリックすると大きな画像で見られます)
一番右が「俗名並河敏夫、昭和二十一年六月十日、行年十六才」。先代文楽師の養子です。深く愛したこの子は先の戦争が終わる直前に「お国のために役に立ちたい」と満州へ旅立ちそのまま消息不明となりました。二番目に刻まれているのは「俗名並河スエ、昭和四十四年一月二十四日」。スエ(寿江)さんは生涯に5度結婚した先代文楽師の4番目の妻で、女性関係に賑やかな夫を持ちながら、1925(大正14)年から亡くなるまで長きにわたり連れ添いました。右から3番目が先代文楽師で戒名は「桂春院文楽日義居士」。一番左に刻まれたのは5番目の妻で「俗名並河梅子、平成五年六月八日 行年八十一」とあります。小満ん師の著書によると先代文楽と梅子さんと出会いは、梅子さんが十九歳だった時。付いたり離れたりの関係を続けたのでしょうか。44年間連れ添った寿江さんが亡くなって間もなく二人は入籍します。そして梅子さんも亡くなり、4番目の妻である寿江さんと5番目の妻の梅子さんが同じ墓に同居する事になったのです。誰もを分け隔てせず誰からも好かれた先代文楽。墓に入ってなお、そんな姿を伺わせます。
墓参りを終え寺を出て、小田急線成城学園前駅までは歩いて15分強。電車に乗って高架に差し掛かった頃には冬至も間近の初冬の日はすっかり暮れようとしていました。
今夜のTBS「ラジオ寄席」は八代目文楽特集でした ― 2013年12月16日 01:13
今夜のTBS「ラジオ寄席」は八代目桂文楽の特集でした。
1席目は「夢の酒」。1968.11.01にTBSラジオの「まわり舞台」という番組で放送された音源で、当方のデータリストのテイク6になります。今回の放送では冒頭の「間へ挟まりまして」という当初の放送でのカット部分が復活しました。そのかわりに「ヘエ」「そうか、なんだよ」「だしぬ…(言いよどむ)」というごく細かいカットがあったことを確認しましたが、大きなカットは無く、ほぼ完璧な状態で放送されたと思われます。このテイクは市販されてない貴重な音源ですので、録音された方は大切に保存しましょう。
2席目は「富久」。1961.11.29に放送された音源で当方のデータリストのテイク11。先ごろ小学館のCD付きマガジンで発売された音源と同一で、タイムは25分28秒で、時間で30秒ほど、4箇所のカットがあったとの情報を頂きました。このカットは現在使うのが不適切とされている言葉を含む部分です。(当初記した7分ほどのカットという情報は誤りです)
「夢の酒」では市販されていない音源がほぼノーカットで聴け、さらにカットはあるものの「富久」で冬ならではの噺を味わう。今回の放送はコレクターとしても一般の聴取者としても満足できるものだったのではないでしょうか。
なお、今朝の文化放送の「志の輔ラジオ落語DEデート」では、LP音源の三代目三遊亭金馬「歳暮廻し」が流れました。タイムからしてカットも無かった模様です。「歳暮廻し」はこの1テイクのみ。しかもCD化されていませんので、初めて聴く噺だという方も多かったと思います。今日は落語音源コレクターにとっては「当たり」といえる日でした。
1席目は「夢の酒」。1968.11.01にTBSラジオの「まわり舞台」という番組で放送された音源で、当方のデータリストのテイク6になります。今回の放送では冒頭の「間へ挟まりまして」という当初の放送でのカット部分が復活しました。そのかわりに「ヘエ」「そうか、なんだよ」「だしぬ…(言いよどむ)」というごく細かいカットがあったことを確認しましたが、大きなカットは無く、ほぼ完璧な状態で放送されたと思われます。このテイクは市販されてない貴重な音源ですので、録音された方は大切に保存しましょう。
2席目は「富久」。1961.11.29に放送された音源で当方のデータリストのテイク11。先ごろ小学館のCD付きマガジンで発売された音源と同一で、タイムは25分28秒で、時間で30秒ほど、4箇所のカットがあったとの情報を頂きました。このカットは現在使うのが不適切とされている言葉を含む部分です。(当初記した7分ほどのカットという情報は誤りです)
「夢の酒」では市販されていない音源がほぼノーカットで聴け、さらにカットはあるものの「富久」で冬ならではの噺を味わう。今回の放送はコレクターとしても一般の聴取者としても満足できるものだったのではないでしょうか。
なお、今朝の文化放送の「志の輔ラジオ落語DEデート」では、LP音源の三代目三遊亭金馬「歳暮廻し」が流れました。タイムからしてカットも無かった模様です。「歳暮廻し」はこの1テイクのみ。しかもCD化されていませんので、初めて聴く噺だという方も多かったと思います。今日は落語音源コレクターにとっては「当たり」といえる日でした。
22日のTBS「ラジオ寄席」は三遊亭圓生の特集 ― 2013年12月17日 03:53
次回、22日の日曜日のTBS「ラジオ寄席」は三遊亭圓生の特集だとの旨が、以下のページで告知されています。
http://www.tbs.co.jp/radio/format/yose.html
演目は「無精床」と「掛取万歳」とのこと。圓生はTBSと専属契約を結んでいだ昭和28年から43年までの間、毎年のように年末には「掛取万歳」をTBSで掛けていました。いつの音源が今回放送されるのか興味深いところです。
さらに29日の放送は五代目小さんの特集だそうで「懐かしの名人芸」が続きます。この調子で年末年始にはこの番組の特番を放送してもらえれば嬉しいのですが実現するでしょうか。
なお、「落語はろー・データ編」中の先代文楽「富久」テイク11で記されたタイムは誤りで、小学館から発売されているCDのタイムは26分3秒です(次回の更新で修正します)。先の日曜の「ラジオ寄席」で放送された「富久」のカットは時間にして35秒分で4ヶ所あることを確認しました。情報を下さった方、有り難うございました。
http://www.tbs.co.jp/radio/format/yose.html
演目は「無精床」と「掛取万歳」とのこと。圓生はTBSと専属契約を結んでいだ昭和28年から43年までの間、毎年のように年末には「掛取万歳」をTBSで掛けていました。いつの音源が今回放送されるのか興味深いところです。
さらに29日の放送は五代目小さんの特集だそうで「懐かしの名人芸」が続きます。この調子で年末年始にはこの番組の特番を放送してもらえれば嬉しいのですが実現するでしょうか。
なお、「落語はろー・データ編」中の先代文楽「富久」テイク11で記されたタイムは誤りで、小学館から発売されているCDのタイムは26分3秒です(次回の更新で修正します)。先の日曜の「ラジオ寄席」で放送された「富久」のカットは時間にして35秒分で4ヶ所あることを確認しました。情報を下さった方、有り難うございました。
吉野孝・千葉県習志野市元市長死去 ― 2013年12月17日 22:17
数日前、我が家で購読している新聞の地方面の下の方に小さな訃報記事が載りました。亡くなったのは元・習志野市長の吉野孝氏。12月12日に心筋梗塞で死去。享年87歳。市長としての在任期間は1967(昭和42)年から1983(昭和58)年までの4期16年間。革新系の市長で、在任中の高度経済成長期には都心まで電車で30分あまりのこの地はベッドタウンとして飛躍的に発展しました。
このブログで何故、一地方都市の元市長の訃報を記すのか。「習志野」と聞いてピンとくる落語ファンもいらっしゃるでしょうが、六代目三遊亭圓生が最後の高座をつとめ、そして急逝したのがここ習志野。圓生が亡くなった1979(昭和54)年にこの習志野で市長を務めていたのが吉野氏でした。
吉野氏は習志野でも随一の名家の生まれで、父親も市の前身の津田沼町の町長でした。大正の時代には軍の演習で習志野に来訪した秩父宮がこの吉野の家に宿泊したこともあったそうです。
吉野氏が市長だったもと、総武線津田沼駅の南側に1978(昭和53)年に建設されたのが「サンペデック」(現・モリシア)という巨大な複合商業施設で、大型スーパー・文化ホール・レストランなどが建ち並びます。
圓生が最期に高座をつとめたのが、レストランの入る棟の最上階(11階)にある結婚式場で執り行われた「習志野圓生後援会」の発足式でした。wikipediaなどあちこちで「圓生の最後の口演は習志野文化ホールでなされた」と記述されていますが、「文化ホール」はレストラン棟の隣に建つ別物の施設で、これは明らかに誤りです。
吉野氏はクラシック音楽をはじめとして芸術・芸能に理解が深い人で、程度は分かりませんが圓生とも交わりがあったようです。また自分も建設に尽力して出来たばかりのこの立派な施設に落語家として日本最高の名人を呼ぼうと考えたのかも知れません。市長自ら「習志野圓生後援会」の会長に就任し、その会の発足式で、すでに身体の不調を訴えていた圓生は小噺「桜鯛」を短く演じ、そして心臓発作で倒れ、搬送先の近くの病院で最期を迎えたのです。
会の発足式そして病院にも居合わせた吉野元市長は、その時の模様を著書「甦る断想」に記しています。著作権の問題とかあるでしょうが、一地方都市の元市長の無名の著作物の複製について、一日に数人または十数人しか見ないような零細なブログでうるさく言う人もいないでしょう。単行本で3ページの量ですので、以下のリンク先に圓生の死に関する部分のテキストを掲載しておきます。
http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/rakugodata/zz_yoshino.htm
このブログで何故、一地方都市の元市長の訃報を記すのか。「習志野」と聞いてピンとくる落語ファンもいらっしゃるでしょうが、六代目三遊亭圓生が最後の高座をつとめ、そして急逝したのがここ習志野。圓生が亡くなった1979(昭和54)年にこの習志野で市長を務めていたのが吉野氏でした。
吉野氏は習志野でも随一の名家の生まれで、父親も市の前身の津田沼町の町長でした。大正の時代には軍の演習で習志野に来訪した秩父宮がこの吉野の家に宿泊したこともあったそうです。
吉野氏が市長だったもと、総武線津田沼駅の南側に1978(昭和53)年に建設されたのが「サンペデック」(現・モリシア)という巨大な複合商業施設で、大型スーパー・文化ホール・レストランなどが建ち並びます。
圓生が最期に高座をつとめたのが、レストランの入る棟の最上階(11階)にある結婚式場で執り行われた「習志野圓生後援会」の発足式でした。wikipediaなどあちこちで「圓生の最後の口演は習志野文化ホールでなされた」と記述されていますが、「文化ホール」はレストラン棟の隣に建つ別物の施設で、これは明らかに誤りです。
吉野氏はクラシック音楽をはじめとして芸術・芸能に理解が深い人で、程度は分かりませんが圓生とも交わりがあったようです。また自分も建設に尽力して出来たばかりのこの立派な施設に落語家として日本最高の名人を呼ぼうと考えたのかも知れません。市長自ら「習志野圓生後援会」の会長に就任し、その会の発足式で、すでに身体の不調を訴えていた圓生は小噺「桜鯛」を短く演じ、そして心臓発作で倒れ、搬送先の近くの病院で最期を迎えたのです。
会の発足式そして病院にも居合わせた吉野元市長は、その時の模様を著書「甦る断想」に記しています。著作権の問題とかあるでしょうが、一地方都市の元市長の無名の著作物の複製について、一日に数人または十数人しか見ないような零細なブログでうるさく言う人もいないでしょう。単行本で3ページの量ですので、以下のリンク先に圓生の死に関する部分のテキストを掲載しておきます。
http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/rakugodata/zz_yoshino.htm
本日のTBS「ラジオ寄席」 ― 2013年12月22日 22:58
今夜のTBS「ラジオ寄席」は三遊亭圓生の「無精床」と「掛取万歳」の2席でした。
1席目の「無精床」は「落語はろー」リストのテイク1(といってもこの噺はこの1テイクしかありませんが)。テイチクのCD、カセットから発売されていた音源と同じで、CDの解説書には「1968年5月13日の録音。同年6月30日放送」と記されています。放送タイムは18分06秒でしたので6分50秒ほどのカットがあった模様ですが、次の「掛取万歳」の尺をなるべく長くとるためだったのでしょう。
2席目のその「掛取万歳」はリストのテイク13。私は既に所持している音源で過去にやはりこの「ラジオ寄席」で放送されました。しかしその時は旧来のラジオでエアチェックしたもので雑音も多く、今回は「ラジコ」のクリアな音質で録音できました。市販されていない音源ですので、大切にしましょう。
先月のいつだかに、国立演芸場で圓生の放送用口演の演目・日付等を記録したノートを見たと記しましたが、先日、国立劇場の図書閲覧室へ赴きそのデータを転記して来ました(コピーや撮影は出来ません)。その「圓生ノート」によると、該当する「掛取万歳」は1958(昭和33)年12月の録音で、タイムは27分と記されています。今回の放送タイムは26分20秒でしたので、ノーカットもしくはノーカットに近い状態で放送されたものと思われます。
ところで、関東地方では金曜日深夜、土曜日の午前中と震度3~4程度の地震が続いています。昨日午前の地震は、NHKラジオ「真打競演」で喜多八師匠の高座の放送中だったため、地震速報で2分ほど中断してしまいました。今回の「ラジオ寄席」放送中にまた地震が来たらイヤだなと心配性の私は思ってしまいましたが、皆さんはそんなことはなかったでしょうか。
1席目の「無精床」は「落語はろー」リストのテイク1(といってもこの噺はこの1テイクしかありませんが)。テイチクのCD、カセットから発売されていた音源と同じで、CDの解説書には「1968年5月13日の録音。同年6月30日放送」と記されています。放送タイムは18分06秒でしたので6分50秒ほどのカットがあった模様ですが、次の「掛取万歳」の尺をなるべく長くとるためだったのでしょう。
2席目のその「掛取万歳」はリストのテイク13。私は既に所持している音源で過去にやはりこの「ラジオ寄席」で放送されました。しかしその時は旧来のラジオでエアチェックしたもので雑音も多く、今回は「ラジコ」のクリアな音質で録音できました。市販されていない音源ですので、大切にしましょう。
先月のいつだかに、国立演芸場で圓生の放送用口演の演目・日付等を記録したノートを見たと記しましたが、先日、国立劇場の図書閲覧室へ赴きそのデータを転記して来ました(コピーや撮影は出来ません)。その「圓生ノート」によると、該当する「掛取万歳」は1958(昭和33)年12月の録音で、タイムは27分と記されています。今回の放送タイムは26分20秒でしたので、ノーカットもしくはノーカットに近い状態で放送されたものと思われます。
ところで、関東地方では金曜日深夜、土曜日の午前中と震度3~4程度の地震が続いています。昨日午前の地震は、NHKラジオ「真打競演」で喜多八師匠の高座の放送中だったため、地震速報で2分ほど中断してしまいました。今回の「ラジオ寄席」放送中にまた地震が来たらイヤだなと心配性の私は思ってしまいましたが、皆さんはそんなことはなかったでしょうか。
年末年始のTBS「ラジオ寄席」 ― 2013年12月26日 21:06
TBSのサイトで、年末年始のラジオ寄席の情報がUPされています。
http://www.tbs.co.jp/radio/format/yose.html
29日は五代目柳家小さんの特集で「狸の札」と「宿屋の富」、さらに1月2日と3日には新春スペシャルがありそれぞれ八代目正蔵と八代目助六の特集が放送されるそうです。新春スペシャルは、今年10月に野球中継で放送されなかった回の放送と見て間違いないでしょう。午後9時からの放送で、レギュラー放送とは開始時間が異なるのでタイマー録音する方は注意しましょう。
関東エリア以外でも、東京キー局のラジオ放送をラジコでとある手段を使って受信することが出来るようです。「ラジオ寄席」を聴取できない地域にお住いの方はこの機会に試してみたらいかがでしょう。
http://www.tbs.co.jp/radio/format/yose.html
29日は五代目柳家小さんの特集で「狸の札」と「宿屋の富」、さらに1月2日と3日には新春スペシャルがありそれぞれ八代目正蔵と八代目助六の特集が放送されるそうです。新春スペシャルは、今年10月に野球中継で放送されなかった回の放送と見て間違いないでしょう。午後9時からの放送で、レギュラー放送とは開始時間が異なるのでタイマー録音する方は注意しましょう。
関東エリア以外でも、東京キー局のラジオ放送をラジコでとある手段を使って受信することが出来るようです。「ラジオ寄席」を聴取できない地域にお住いの方はこの機会に試してみたらいかがでしょう。
著作権と複製 ― 2013年12月29日 04:54
原則として落語の話題に関してのみしか記さないこのブログですが、落語の資料や音源を収集し一方でそのデータをネットで公開している身として、少し著作権の問題について考えたいと思います。
先だって、とある所で図書を貸し出す仕事をしている方(おそらく司書の方だと思います)と少し話す機会がありました。会話の中で、私が「複写したものを仲間内で見せ合う」というような事を言った途端、その方は「サークルで使うとかそういう事を口にしてはいけません」と厳しい口調で言うのです。
他者の著作物を複製して無断で販売する、或いはネットで不特定多数が見られるようアップロードし公開する行為はたびたび警察に摘発されマスコミでも報道されますし、そのような行為が法律に触れるとは誰でも分かることです(ネットに関しては違法であると分かってて公開する方も多いのですが、営利目的で無いならば、私はその方々を目角を立てて非難するつもりはありません)。一方「不特定多数」でなく、自分の知人や所属団体などで見せるために複製することも違法なのか。
他者の著作物の複製に関しては「私的使用」の目的ならば許されます。この「私的使用」の範囲とはどの程度のなのか。「公益社団法人著作権情報センター」のサイトを見てみました。「私的使用」とは「自分自身や家族など限られた範囲内で利用する」ことだと記してあります。「自分自身」と「家族」と言葉を限定していることから考えて、友人も知人も会社も仲間もサークルも「アウト」ということなのでしょう。裁判所では1977年「舞台装置設計図事件」での東京地裁の判例があり、やはり一般企業内での複写は「私的使用」に当たらないとされています。この判例が現在も複写に関する法的規制の拠り所となっているのですが、1977年というと街中にポツポツとコンビニが出来始めた頃で、コピー機がそこかしこに溢れる現代の実情とは随分乖離しているものです。
その図書を貸し出す仕事をしている方も、法律でいう所の「私的使用」を超えての複写が当たり前のように横行している現実はもちろん知っています。その上で、その法律が有名無実化しているとしても、法律に反する行為をしていると、図書を貸し出す業務に携わっている自分の前で発言してはならないという事を仰りたかったのだと思います。
著作権というものを考えると、そういう概念が出来て法的に整備された当初は、ひとつの企業が製作し発売した書籍なりレコードは、他の企業が発売してはならないという、企業間の問題だったと思います。しかし、コピー機やテープレコーダーが一般化しさらにはパソコンやネットの普及で著作物の複製はどんどん容易になり、著作権の問題は個人にまで降りてくることになった。
図書館には「資料には著作権があります」というポスターがよく貼ってあり、スカパーを見ていると「守ろう、著作権」というCMが頻繁に流れますが、今ではここまで複製が当たり前のように出来るようになった。一般の国民が手軽にコピーできるという利便性を享受している現在、「守らせる」という発想では、いったん広がってしまった噂の様に、規律を求める文言を繰り返しても既に太刀打ちできないのではないでしょうか。
化石のような法律に大胆な修正が求められるのはもちろん、コンテンツは当然複製されるという前提で、これら企業は新しいビジネス戦略を組まなければならないのでしょう。しかし今はまだどこも試行錯誤の段階で、うまくビジネスとして成功したという例を私は知りません。現在の日本では音楽産業も出版産業も依然として縮小傾向です。
私はツイッターでとある有名な方をフォローしています。著作を何冊も出しテレビにもよく出演する、理知も見識もある方です。ある日の夜遅くその方が「大好きな(とある落語家さん)の(とある噺)を聞きながら寝ます」と書き込み、さらにその動画のYoutubeのURLが添えられていました。時代はここまで変わっています。
先だって、とある所で図書を貸し出す仕事をしている方(おそらく司書の方だと思います)と少し話す機会がありました。会話の中で、私が「複写したものを仲間内で見せ合う」というような事を言った途端、その方は「サークルで使うとかそういう事を口にしてはいけません」と厳しい口調で言うのです。
他者の著作物を複製して無断で販売する、或いはネットで不特定多数が見られるようアップロードし公開する行為はたびたび警察に摘発されマスコミでも報道されますし、そのような行為が法律に触れるとは誰でも分かることです(ネットに関しては違法であると分かってて公開する方も多いのですが、営利目的で無いならば、私はその方々を目角を立てて非難するつもりはありません)。一方「不特定多数」でなく、自分の知人や所属団体などで見せるために複製することも違法なのか。
他者の著作物の複製に関しては「私的使用」の目的ならば許されます。この「私的使用」の範囲とはどの程度のなのか。「公益社団法人著作権情報センター」のサイトを見てみました。「私的使用」とは「自分自身や家族など限られた範囲内で利用する」ことだと記してあります。「自分自身」と「家族」と言葉を限定していることから考えて、友人も知人も会社も仲間もサークルも「アウト」ということなのでしょう。裁判所では1977年「舞台装置設計図事件」での東京地裁の判例があり、やはり一般企業内での複写は「私的使用」に当たらないとされています。この判例が現在も複写に関する法的規制の拠り所となっているのですが、1977年というと街中にポツポツとコンビニが出来始めた頃で、コピー機がそこかしこに溢れる現代の実情とは随分乖離しているものです。
その図書を貸し出す仕事をしている方も、法律でいう所の「私的使用」を超えての複写が当たり前のように横行している現実はもちろん知っています。その上で、その法律が有名無実化しているとしても、法律に反する行為をしていると、図書を貸し出す業務に携わっている自分の前で発言してはならないという事を仰りたかったのだと思います。
著作権というものを考えると、そういう概念が出来て法的に整備された当初は、ひとつの企業が製作し発売した書籍なりレコードは、他の企業が発売してはならないという、企業間の問題だったと思います。しかし、コピー機やテープレコーダーが一般化しさらにはパソコンやネットの普及で著作物の複製はどんどん容易になり、著作権の問題は個人にまで降りてくることになった。
図書館には「資料には著作権があります」というポスターがよく貼ってあり、スカパーを見ていると「守ろう、著作権」というCMが頻繁に流れますが、今ではここまで複製が当たり前のように出来るようになった。一般の国民が手軽にコピーできるという利便性を享受している現在、「守らせる」という発想では、いったん広がってしまった噂の様に、規律を求める文言を繰り返しても既に太刀打ちできないのではないでしょうか。
化石のような法律に大胆な修正が求められるのはもちろん、コンテンツは当然複製されるという前提で、これら企業は新しいビジネス戦略を組まなければならないのでしょう。しかし今はまだどこも試行錯誤の段階で、うまくビジネスとして成功したという例を私は知りません。現在の日本では音楽産業も出版産業も依然として縮小傾向です。
私はツイッターでとある有名な方をフォローしています。著作を何冊も出しテレビにもよく出演する、理知も見識もある方です。ある日の夜遅くその方が「大好きな(とある落語家さん)の(とある噺)を聞きながら寝ます」と書き込み、さらにその動画のYoutubeのURLが添えられていました。時代はここまで変わっています。


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