古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 |
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本日のラジオ寄席は春風亭柳昇師の特集 ― 2012年11月25日 23:51
本日のラジオ寄席は春風亭柳昇師の特集でした。「女房の買い物」は1990年、「坊ちゃん」は1982年、「雑俳」は1995年の録音との事でしたが、柳昇師については詳しいデータは分かりません。ごめんなさい。柳昇師についても音源を集めているのですが積極的に集めている訳ではなくそれほど珍しいものはありませんし、データの整理もしていません。「新作落語」というものはその時代限りで消滅する事が多く、継承するものとしての価値が見いだし難いので、コレクトする意欲もなかなか湧かないのかもしれません。「落語はろー・データ編」のページがほぼ古典落語の情報で占められているのもそんな理由からなのでしょう。
そのページを作成している私も古典落語至上主義の人間なのかと思われてしまいそうですが、どうして、新作落語を聴くのも好きなのです。私が寄席通いに夢中になった1990年前後は柳昇師も元気に活躍していた時代で、新宿末広亭の古びた建物、寄席の気だるい雰囲気、そして柳昇師のトボケた味わいが大好きでした。
「カラオケ病院」という柳昇師の十八番があります。サゲは「私の職業は地上げ屋です」ですが、いうまでもなく地上げ屋が跋扈したのはバブルの時期でした。それが1990年代中頃になり地上げ屋というものが消滅しても、尚も同じくこのサゲを使っているのを聴き、少々幻滅しました。バブルなんというものはとっくに過去の物になり、今は地価が暴落し、名うての不動産会社が次々と倒産している時代なのに、地上げ屋が大手を振っていた頃のサゲを使う「時代感覚」の無さに失望したのです。
柳家金語楼師はあれだけ沢山の新作落語を作ったのに関わらず今でも演じられているのは「ラーメン屋」くらいで、あとは遺物として埋もれています。「新作落語」をめぐる問題点はまた時を改めて記したいと思います。
ラジオ寄席は12月2日と9日は公開録音の放送、16日は総選挙の日ですので放送は休止でしょう。「懐かしの名人芸」はしばらくオアズケですね。年末はまたいろいろな特集番組を放送してくれるかもしれません。期待しましょう。
そのページを作成している私も古典落語至上主義の人間なのかと思われてしまいそうですが、どうして、新作落語を聴くのも好きなのです。私が寄席通いに夢中になった1990年前後は柳昇師も元気に活躍していた時代で、新宿末広亭の古びた建物、寄席の気だるい雰囲気、そして柳昇師のトボケた味わいが大好きでした。
「カラオケ病院」という柳昇師の十八番があります。サゲは「私の職業は地上げ屋です」ですが、いうまでもなく地上げ屋が跋扈したのはバブルの時期でした。それが1990年代中頃になり地上げ屋というものが消滅しても、尚も同じくこのサゲを使っているのを聴き、少々幻滅しました。バブルなんというものはとっくに過去の物になり、今は地価が暴落し、名うての不動産会社が次々と倒産している時代なのに、地上げ屋が大手を振っていた頃のサゲを使う「時代感覚」の無さに失望したのです。
柳家金語楼師はあれだけ沢山の新作落語を作ったのに関わらず今でも演じられているのは「ラーメン屋」くらいで、あとは遺物として埋もれています。「新作落語」をめぐる問題点はまた時を改めて記したいと思います。
ラジオ寄席は12月2日と9日は公開録音の放送、16日は総選挙の日ですので放送は休止でしょう。「懐かしの名人芸」はしばらくオアズケですね。年末はまたいろいろな特集番組を放送してくれるかもしれません。期待しましょう。
コメント
_ 藪井竹庵 ― 2012年11月30日 16:41
_ mirach ― 2012年11月30日 21:17
「新作」という呼称は後々の時代の人からすれば実に迷惑なレッテルだと思います。私は金語楼師や五代目今輔師はもはや「新作」ではないと考えています。といってもちろん「古典」でもないのですが。「新幹線」が開通したのは昭和39年ですが、開業してまもなく半世紀も経とうというのに「“新”幹線」というのも変です。次に出来るのは「リニアモーターカー」とか横文字由来の訳の分からぬ名称になっています。
「化物使い」「試し酒」なども分類すれば「新作」になりますが、そういう意識なく楽しめる噺です。落語という連綿と続く伝統芸で「古典落語」「新作落語」と二分するのは確かに無理がありますね。「時代を越えて後継に受け継がれる落語」と「その時代にその話者だけで消滅する落語」とでも分類すれば良いかもしれません(^_^)
「化物使い」「試し酒」なども分類すれば「新作」になりますが、そういう意識なく楽しめる噺です。落語という連綿と続く伝統芸で「古典落語」「新作落語」と二分するのは確かに無理がありますね。「時代を越えて後継に受け継がれる落語」と「その時代にその話者だけで消滅する落語」とでも分類すれば良いかもしれません(^_^)
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その事から、作られた時期によって古典と新作を別けると云う変な事になっちゃって、いつまでが古典でいつからが新作なのかと云う、訳の判らない議論にまでなりました(^ω^)
その件に付いて考察してみると・・・「古典落語」と云う用語を使った人が好きな落語が「古典落語」であり、嫌いな落語が古典落語ではない・・・と云ってるように思えます。それは、金馬さんがやってた落語を彼らは「古典落語」とは云わなかった事から判断できます(^ω^)
近代に作られた落語が何故残らないのかと云うと、その演目を持ち根多にした噺家の弟子がその演目を受け継いで演じないからですね。三井物産の御曹司の益田太郎(1875~1953)が太郎冠者のペンネームで明治末に初代 圓左(1848~1909)の為に作った「かんしゃく」、「堪忍袋」、「宗論」は、古典落語とは云われてないと思いますが、現代でも持ち根多にしている噺家はいますね。