古今亭志ん生、八代目桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝など過去の名人落語家の残された落語音源データを公開しています。 |
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志ん朝の命日・小石川図書館 ― 2012年10月01日 22:16

落語のCDやカセットを置いてある図書館は多いのですが、図書館はたいてい市町村内(時には隣接自治体を含む)の居住者・勤務者にしか資料の貸し出しをしませんし、特に視聴覚資料の貸し出しには制限がかかっている所が多いのです。しかし私と同じく落語音源を集めている方のブログを見て、日本全国どこの住人にも貸すという太っ腹な図書館がある事を知りました。東京では文京区・品川区などで、とくに文京区は古いレコードを所蔵しており落語のそれもあるとのこと。検索してみると中古レコード屋やネットオークションでも入手できなかったレコードが数枚ある事が分かりました。ということで、今日は所用で東京へ行く予定になっていたので、帰りがけに文京区の小石川図書館へ寄る事にしました。月曜日なので休館日かと思いましたが、ネットで見ると文京区の図書館は月1回しか休館日がないとのこと。しかも平日と土曜日は午後9時まで開館。さすがは「文京」区と感心してしまいました。
そして思い出してみると、10月1日は古今亭志ん朝師の命日。来年は十三回忌ですね。早いものです。美濃部家の墓は文京区のどこだかにあると聞きかじっていたので調べて見ると「小日向」という所。「小石川」の隣町です。これは両方行くしかありません。用事を済ませて、有楽町線の江戸川橋駅へ。美濃部家の墓のある還国寺(げんこくじ)は駅から徒歩5分ほど、浄土宗の寺です。志ん朝師の葬儀が執り行われた「護国寺」は真言宗の寺のはずですが、まあいろいろ事情もあるのでしょう。寺に入り美濃部家の墓はすぐ見つかりました。さすがは天下の名人の命日とだけあって多くの花が供えられています。墓石の左側には「墓誌」があり見ると刻まれているのは志ん生、りんさん、志ん朝の3人。事前に仕入れた情報だと十代目馬生も同じ墓に葬られているはずなのですが名がありません。改葬されたのでしょうか。なぜ志ん生とその妻と次男の志ん朝なのか疑問です。
志ん朝師の墓詣りの次は小石川図書館へ。「小石川」は「小日向」の隣町とはいえ、地図をざっと見て2km程あります。30分は歩く覚悟をしていたのですが寺から歩いて2分程の所で文京区のコミュニティバスの停留所と遭遇。バスは20分間隔で走っており、しかも目指す小石川図書館のすぐそばを通ります。これは使うしかない。5分ほど待って運賃100円を払い約10分かけて図書館最寄りのバス停で下車。ということで来た小石川図書館です。貸し出しカードを作ってもらい、レコード室へ。レコードのこの独特の臭いは何の臭いなのでしょう。どんなレコードが収蔵されているかざっと見て落語のコーナーへ。全部で100枚くらいでしょうか。CDが発売されており既に用済みと思われるレコードも多数あります。私だったら、要不要の仕分けができるのですが。数枚レコードを借り、丸の内線茗荷谷駅まで歩きます。この駅に来るのは二十数年ぶりです。学生の頃(といっても1~2年だけ)のサークル活動で週に2回ほどはこの駅を利用していました。私の通う大学の最寄駅よりも利用回数が多かったかも。ビルになった駅を後に、どういう手順でダビングしようかと考えながら帰路につきました。
そして思い出してみると、10月1日は古今亭志ん朝師の命日。来年は十三回忌ですね。早いものです。美濃部家の墓は文京区のどこだかにあると聞きかじっていたので調べて見ると「小日向」という所。「小石川」の隣町です。これは両方行くしかありません。用事を済ませて、有楽町線の江戸川橋駅へ。美濃部家の墓のある還国寺(げんこくじ)は駅から徒歩5分ほど、浄土宗の寺です。志ん朝師の葬儀が執り行われた「護国寺」は真言宗の寺のはずですが、まあいろいろ事情もあるのでしょう。寺に入り美濃部家の墓はすぐ見つかりました。さすがは天下の名人の命日とだけあって多くの花が供えられています。墓石の左側には「墓誌」があり見ると刻まれているのは志ん生、りんさん、志ん朝の3人。事前に仕入れた情報だと十代目馬生も同じ墓に葬られているはずなのですが名がありません。改葬されたのでしょうか。なぜ志ん生とその妻と次男の志ん朝なのか疑問です。
志ん朝師の墓詣りの次は小石川図書館へ。「小石川」は「小日向」の隣町とはいえ、地図をざっと見て2km程あります。30分は歩く覚悟をしていたのですが寺から歩いて2分程の所で文京区のコミュニティバスの停留所と遭遇。バスは20分間隔で走っており、しかも目指す小石川図書館のすぐそばを通ります。これは使うしかない。5分ほど待って運賃100円を払い約10分かけて図書館最寄りのバス停で下車。ということで来た小石川図書館です。貸し出しカードを作ってもらい、レコード室へ。レコードのこの独特の臭いは何の臭いなのでしょう。どんなレコードが収蔵されているかざっと見て落語のコーナーへ。全部で100枚くらいでしょうか。CDが発売されており既に用済みと思われるレコードも多数あります。私だったら、要不要の仕分けができるのですが。数枚レコードを借り、丸の内線茗荷谷駅まで歩きます。この駅に来るのは二十数年ぶりです。学生の頃(といっても1~2年だけ)のサークル活動で週に2回ほどはこの駅を利用していました。私の通う大学の最寄駅よりも利用回数が多かったかも。ビルになった駅を後に、どういう手順でダビングしようかと考えながら帰路につきました。
TBS「ラジオ寄席」追加情報と訂正 ― 2012年10月06日 03:19
「ラジオ寄席」の情報ページがやっとアップされました。リンク→ここをクリック とりあえず7日と14日の放送分が掲載されています。先日このブログで「14日はプロ野球・クライマックスシリーズで休止の可能性」と記しましたが、TBSに確認したところ同シリーズは一部の試合しか中継放送しないとのこと。それに元々ファーストステージ2日目の14日はセ・パともデイゲームなのですね。なのでこの日の「ラジオ寄席」は確実に放送はあるでしょう。21日はクライマックスシリーズの5日目で試合が行われるかどうかは微妙です。「ラジオ寄席」の放送があるとして、この日には新潟県の県知事選挙があります。情勢として1候補が圧倒的に優勢で午後8時の投票締め切りと同時にマスコミ各社で当選確実の速報が流れることになると思われます。となると「ラジオ寄席」でも放送中にニュース速報が流れる可能性があります。一昨年だったが桂小南師の落語本編放送中に県知事選(確か静岡県)の当選確実の報が流れ、貴重な音源に傷が付いてしましました。以前、NHKのラジオ深夜便では毎週土曜日深夜1時台に落語などの演芸を放送していました。この番組では本編放送中にニュース速報が入った場合は、ニュースが入る前の部分にさかのぼって本編を流してくれました。生放送で放送時間に余裕のある「ラジオ深夜便」だからこそできたのでしょうが。なおTBSラジオでは日本シリーズは全試合中継放送する予定だそうです。
圓菊師亡くなる ― 2012年10月29日 21:18
しばらく更新しませんでした。10月に入って私事であれやこれやありまして、落語どころではなかったのです。私は2001年の2月から厄介な問題を抱えることになりまして、随分と神経をすり減らしてきました。強大な相手への対応に苦慮してきましたが、この10月に大きな動きがあり、やっと私の主張してきたことが全面的に正しかったと証明できる目途が立って来ました。このことについては、また機会があったら報告いたします。
さて、この更新しなかった間の落語界では、古今亭圓菊師が亡くなったことが最大の出来事だったでしょう。圓菊師の高座は私も寄席で何度も見ました。私がこれまでの人生で一番寄席に通ったのが大学生だった1990年前後で大看板となった圓菊師が最も活躍していた頃でした。体が妙にくにゃくにゃして斜めになる、語尾が不思議な伸び方をすると、妙な癖のある師匠で、キッチリとした型を好む落語ファンからは評価されませんでしたが、寄席では不思議と非常に客受けする師匠でした。
「TBS落語研究会」への出演記録を見ると1976年6月「黄金の大黒」、1977年1月「幾代餅」、1981年9月「片棒」と、大看板になる以前に3回の出演記録があるだけです。正当派を好む「TBS落語研究会」の性格を、あるいは「ホール落語」よりは「寄席」の似合う圓菊師の芸質をよく表していると思います。
圓菊師の市販されている(されていた)音源としては、レコードが2枚4席、カセットテープがアポロンから5本11席、「圓菊ぎんざ・らいぶ」というCDが3枚6席、さらに最近発売されたCDがコロムビアから5枚、「なごやか寄席シリーズ」で3枚あるようです。
もう十何年か前の出来事だったか、私はアポロンから発売されていた圓菊師のカセットテープ全5本のうち2本を所持していました。残りはいつでも購入できるだろうと思っていたら、アポロンという会社が潰れてしまい入手不可能に。はて、あと3本はどうしようかと思っていてある日、神保町の良く行く中古レコード屋に行くと、このアポロンの圓菊師のカセットテープが全部で3本置いてありました。その3本がまさに私の持っていなかった3本だったのです。無かった3本がちょうど全部揃うというのは確率で考えるとどのくらいになるのでしょう。くだらぬ話でした。
圓菊師のこのカセットテープ音源はまだデジタル化していません。今度、PCに取り込みながら聴いてみて、寄席通いに夢中になっていたあの頃を懐かしみたいと思います。
さて、この更新しなかった間の落語界では、古今亭圓菊師が亡くなったことが最大の出来事だったでしょう。圓菊師の高座は私も寄席で何度も見ました。私がこれまでの人生で一番寄席に通ったのが大学生だった1990年前後で大看板となった圓菊師が最も活躍していた頃でした。体が妙にくにゃくにゃして斜めになる、語尾が不思議な伸び方をすると、妙な癖のある師匠で、キッチリとした型を好む落語ファンからは評価されませんでしたが、寄席では不思議と非常に客受けする師匠でした。
「TBS落語研究会」への出演記録を見ると1976年6月「黄金の大黒」、1977年1月「幾代餅」、1981年9月「片棒」と、大看板になる以前に3回の出演記録があるだけです。正当派を好む「TBS落語研究会」の性格を、あるいは「ホール落語」よりは「寄席」の似合う圓菊師の芸質をよく表していると思います。
圓菊師の市販されている(されていた)音源としては、レコードが2枚4席、カセットテープがアポロンから5本11席、「圓菊ぎんざ・らいぶ」というCDが3枚6席、さらに最近発売されたCDがコロムビアから5枚、「なごやか寄席シリーズ」で3枚あるようです。
もう十何年か前の出来事だったか、私はアポロンから発売されていた圓菊師のカセットテープ全5本のうち2本を所持していました。残りはいつでも購入できるだろうと思っていたら、アポロンという会社が潰れてしまい入手不可能に。はて、あと3本はどうしようかと思っていてある日、神保町の良く行く中古レコード屋に行くと、このアポロンの圓菊師のカセットテープが全部で3本置いてありました。その3本がまさに私の持っていなかった3本だったのです。無かった3本がちょうど全部揃うというのは確率で考えるとどのくらいになるのでしょう。くだらぬ話でした。
圓菊師のこのカセットテープ音源はまだデジタル化していません。今度、PCに取り込みながら聴いてみて、寄席通いに夢中になっていたあの頃を懐かしみたいと思います。
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